治療もできず、10か月で息子は旅立ってしまいました。

治療もできず、10か月で息子は旅立ってしまいました。

るる (2014-9-18 21:29 )
去年の昨日(9月17日)、病気の告知を受けました。
秋のさわやかな日でした。
夫が仕事から帰るのを待つため夜に主治医から話を聞くことになっていて、「かなり厳しいお話をすることになります」とは言われていましたが、まさか治療もできず、1年もたたずに全身が麻痺して亡くなってしまう脳腫瘍だとは、モチロン想像もしていませんでした。
なんの話を聞いているのか、よくわからず、涙も出ませんでした。
だって、ふらふらしているというだけで、他は普通に見えるのに・・・。
息子は入院したままだったので、夫と二人、病院から帰るときに、秋の風がひんやりとしたのだけははっきり覚えています。

そして本当に、1年たたず、10か月で息子は旅立ってしまいました。

これからの10か月は、空気を吸うだけで風の匂いを感じるだけで思いだされることばかりでつらいです。

まんま (2014-9-18 22:41 )
るるさん、こんばんは
秋が深まるとなんとなく物悲しくなるものですが、るるさん、息子さんの闘病がよみがえり辛い日々を過ごされているのですね。病名を宣言された日の事は、私も鮮明に覚えていて、pet検査、生検を経て、病院からの電話で「よくない結果がでました。覚悟してきて下さい」 当時6年の息子は外で元気に遊んでいました。治療が、効かなければ半年後、小学校が卒業できないか、効いても中学校は卒業できないと思ってください。その医師の元では治療はうけませんでしたが、中学校を卒業することはかないませんでした。今でもテレビや新聞で脳腫瘍と見聞きすると悔しく、治療するすべはなかったのか、と虚しくなります。
この季節は最後の入院をした2ヶ月で、自分の着てる服がその時のままで、それだけでもつらく感じます。すべて買い替える訳にもいかず、、、
sayamama (2014-9-19 15:59 )
るるさん、本当にお辛いことと思います。
うちは、初めて入院したのも、亡くなったのも5月なので、今も春のあの暖かい気持ちのよい日々が、とても辛いです。宣告受けた時のこと忘れられませんよね。うちは何度も「危ない」と言われても、頑張ってよみがえってくれてたので、去年の春に「あと一か月もたない」と言われた時も、泣きながらそれでも絶対また乗り越えてくれる、と信じてました。

まんまさん、娘は「1か月もたない」と言われてから、12日目に亡くなりましたが、それまで2か月個室に入院していて、私が昼も夜もつきっきりでした。その時病院で付き添ってた時に着てた服は、娘が亡くなってすぐ全部捨ててしまいました。おかげで着るものがなくなって、大変でしたが・・・。

でも娘が導尿管入れてた時、パジャマのズボンがはけないので、私のゴム入りスカートをはいていたのです。それだけは捨てられず、かといって履くこともできず、タンスの隅につってあります。

るる (2014-9-19 20:35 )
まんまさん、sayamamaさん、
告知を受けた前後1週間は入院していて、私は毎日自転車で病院に行っていたので、余計に季節を感じてしまって・・・
告知を受けたときのことは、忘れられない、というか、切り取ったように自分の中に存在しますよね。。。

自分はあの頃何を着ていたのか、お話をうかがってから考えたのですが、恐ろしいほど全く思いだせませんでした。でもあのころは、毎日病院に行っていましたし、告知を受けてからは、セカンドオピニオンをうかがうのにあちこち行っていたのですが、今は、家からほとんど出ないので、知らず知らず全く違う格好をしているのかな。。。

最初の入院のときに息子が着ていたパジャマを今寝るときに私が着ています。自宅に戻ってから着ていたパジャマは主人が着ていますが、最期の瞬間に着ていたものは、きれいにとっておいています。今日は2回目の月命日でした。あれから2カ月・・・私の中では時計は止まったままです。

明日は彼岸の入りですね。みなさんは、何か特別なことをされますか?

まんま (2014-9-19 22:19 )
お彼岸、今まで気にしたことがなくて、納骨もまだだし、お墓にも行かないので、特に何も考えてなくて。
sayamamaさん、お洋服処分されたのですね、服着て思い出すなんて私だけかと思ってました。かばんは壊れてきたので買い替えましたが、着替えを持ち帰りしたエコバックは封印してます。
るるさん、息子さんのパジャマを着てるのですね、包まれてる気持ちうらやましいです。私も着たいのですが、主人が生地が痛むのでやめておいて、というので、よく着てた服と制服を飾ってます。2回目の月命日を過ごされて、時間が止まったまま、よくわかります。月命日を何回繰り返しても、不在の日が積み重なるだけ、お寺さんがくるたびに葬儀の時の読経の声が重なり、涙する時が増えました。
ゆきぴー (2014-9-21 0:26 )
みなさんこんばんわ
去年の今頃は 入院してましたが まだまだ元気で
検査とリハビリに励んでいました
私は絶対治ると信じて 今は我慢 我慢とばかり言っていました
こんなことなら 好きな事させて好きなものを食べさせてやれば
よかったと 後悔ばかりです

服も一緒に出かけた時に買った服だとか 娘と共有してた服も
あって 何を見ても思い出して泣けてきます
自分の服はほとんど処分してしまったので
少し寒くなって着るものがなくなってきました
去年からすると かなり体重も減ってしまい それまで着ていたものは合わなくなったのもありますが。。。
好きだったテレビ 歌 食べ物 行きたがってた所。。。
思い出ばかりで
どう気持ちに折り合いをつけていいのかわかりません

今日 夫が電気屋さんに行きたいと言うので
家から 遠い電気屋さんまでわざわざ行って来ました
家の近くの電気屋さんは誰かに会うかもしれないからと
私が嫌がったので。。。
どうして? と言われて
急に知ってる人に会うと 楽しくもないのに笑わないといけない
でしょう と言っていました
自分でもなんでかあまりわかってなかったのですが
勝手に出てきた自分の言葉に妙に納得して
家に訪ねてくれるひとにはちゃんと心の準備をして
会ってるのですが
不意に会うのがすごく苦手になってしまいました

るる (2014-9-22 8:52 )
おはようございます。

去年の今日、放射線治療開始までの間ということでいったん退院しました。学校は地下鉄を乗り継いでいくようなところだったので、車で学校まで送って、保健室にも行きながら学校に通っていました。本人は余命を知らなかったので、受験のために予備校にも顔を出したり、次の入院のために参考書や赤本を買ったりしていました。
進学やその先の就職まで息子は心配してつらそうで、病気の本当のことを伝えていたら、そんなことを心配しないでもっと時間を有意義に使えたのかもしれないと今では思ったりします。

お彼岸は、私もよくわからなくて、何をするでもなかったのですが、それが形式的なことだとわかっていても、「あれを供えろ、これをしろ」と言われたほうが、余計なことを考えずにあたふたできて楽な気がして。息子のためにできることを与えてもらいたい気持ちです。

「楽しくもないのに笑わないといけない」、そうです、それがいやですよね。そして、楽しくもないのに笑って、元気でもないのに「大丈夫です」なんて言わなくてはいけなくて、で、相手の人には、「意外に元気でよかった!」なんて言われたり思われたりすると、もう本当に落ち込みます。。。

ゆきぴー (2014-9-23 23:50 )
るるさん
気持ちを共感してもらえて ありがたいです
夫には みんな心から楽しくて笑ってるんじゃないと
言われました
もちろん 誰でもみんなその人なりの悩みはあるのでしょうが
娘が元気な時も私にもそれなりに悩みもありましたから
でも 今回は目の前の壁が高すぎて
超えられる気がしないです
気持ちが晴れて 笑える日はもう来ないんでしょうね
去年の今日 入院中の娘と外出したことを思い出します
はまちゃん (2014-9-24 10:52 )
一時間程、末っ子の小学校の運動会の総練習を観に行って来ました。覚悟はして行きましたが、やはり、行事ごとは、辛いですね。
次女は中学2年生で亡くなりましたが、中学校は8日間、数時間しか行けてないので、私達の中では、小学6年生で止まってしまってます・・6年生の徒競走が息子の前にあったので観てしまいましたが・・娘を思い出して、涙があふれ出てきてしまい・・一人こっそりと涙をふいていました・・昨年は、退院して家に居ましたが、体調がまだイマイチなのに、可愛がっていた弟の運動会観に行くと!とウイッグもまだ出来ていなかったのに、帽子を被り、初めは1種目、2種目と言っていたのが、結局、最後まで、応援した娘。そんな昨年の事も思い出して、悔しくて・・悲しくて・・辛くなり、1時間程で帰って来てしました。 本番は、大丈夫か・・心配ですが・・でも、きっと、娘は、昨年よりももっと大きな声で、大好きな弟の応援をすると思うので、母も一緒に頑張って応援しないとと思っています。
まんま

みなさん、こんにちわ
スルーしたいのに、ついつい去年の今頃はと考えてしまいますね。

こちらは運動会シーズンです、小学校、中学校も近く賑やかな気配が聞こえます。あさっては中学校の体育祭、去年は車椅子にのり、4月以来5カ月ぶりに学校に行きみんなに会い写真をとりました。その2ヶ月後、みんなとずっと会えなくなるとは思ってなかったです。そう思いたくないだけだったかもしれません。

治療の後悔、病院が違うかったらもっといいケアが受けれたかも、あの時、あの時、と考えてしまうのはみなさんと一緒です。でもその時その時で息子にできる事をやってきたはず 楽しく喋って、メールして、笑ってくれてた、と思わ
と、深みにはまってしまいます。

るるさんの微笑んでる息子さん、きっと近くにいてるんだと思います。夫婦で散歩する時に、お空をみながら息子の名前を呼びかけてます。笑顔を想像しながら。もちろん誰もいない時ですけどね。

るる (2014-10-1 21:07 )
まんまさん、息子が近くにいてくれていると言ってくださり、ありがとうございます。
きっと近くにいてくれているはず、と思いたくて、でも、そういうふうに言っていただけて、ゼッタイそうだ!と思うことができて本当にありがたいです。
ああしたら、こうしたら・・・というのは、今は本当にきりがないのですが、未熟な私と夫が最愛の息子のためにできたのは、これがベストなのだど、思わなければ生きていけないです
るる (2014-10-21 23:33 )
去年の今頃は、
放射線治療の真っ最中で、
脳外科のドクターは放射線治療を受ければ元通りの生活が送れると言っていましが、放射線医の指摘通りに症状が悪化して、車いすになって、気持ちも落ち込んで・・・でも、終了すれば症状は良くなると言う希望もありました。
結局、杖なしで歩けるようにはならなかったけれど・・・

カテゴリー: 分かち合い

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