泣いているお母さんに。早逝する子供たちについて

泣いているお母さんに。早逝する子供たちについて

名無し (2013-8-31 0:21 )
子どもを亡くしてから
「生まれて死ぬ」…未だに、途方もない問いを模索しています…。
自分が答えを探し、見聞きしたものでも、
泣いているお母さんにお伝えできらと思います。

早逝する子供たちについて

彼らは私達よりもずいぶん成熟した魂(ソウル)で、
親子でも、子供のほうが魂の年齢はずっと上だそうです。
よく出来た子が多くて、子供なのに、なんでも分かっていて…そんな子たちです。
自分のためではなく、愛する人のために生まれてくる特別な子。
魂の計画には寸分の狂いもなく、役割を終えれば、ただちにこちらを去っていくのだそう…。
大人にならなくてもいい、なる必要などない、なる予定もない
高次元の学びを終えた魂なんです。

残された親には、見えませんしわからないのですが
肉体を離れた子供たちからは親の悲しみは手に取るように痛いほど分かり
次元の違う世界からエネルギーを送ったり、
悲しみを忘れるように導いてくれているようです。
こんなに深い悲しみと絶望の中でも、生きていられるのはその証拠で、死は永遠の別離ではなく、子供たちは確かな存在で、悲しみにくれる親を見守り、支え続けます。
それは再会できる時まで続きます。

痛みや、苦しみ、肉体を持つことでしか感じられないことも、尊く
「死」によって全てが解放される時、それは悲しみの間逆で「喜び」に包まれて
「死」を迎えたその瞬間も、体を離れた今も、すごく幸せなんだと
子どもを看取った親には理解しがたい、たくさんのメッセージが存在します。

見えない場所でいつも背中を押してくれています。

「輪廻」という宇宙の摂理は、偏った思想の人からは新興宗教などと意味もなく毛嫌いもされますが、単なる事実です。
ファンタジーやおとぎ話ではなく、精神心理学として確かな実例や文献が数多くあり、母親の幻想ではないと強く感じます。

何もかも無意味な気がして
全てが嫌になってしまう時もたくさんありますが…。
いつも一緒だし、必ず会える。そう信じて過ごせるように。

薫子ママ (2013-9-10 16:22 )
いつもあの子のことを思い、想像しています
いろんな「あのとき」があり、異変さえあの子の事だから何をも責めたくなく、
あの子には「よくがんばったね・・・」と褒めてあげたい気持ちもあり・・・でも・・・
すべてになんですよね
答えの出ない堂々巡り

名無しさんのお言葉、すぅー・・・と心にしみました
何気ない夕方、あの子がとても神々しく清らかに見えた時が確かにありました
それまでは男の子に来てほしかったと思っていた私が性別ではなくこの子でよかった、ありがとう、大好きよ、と心から思えた時でした
これがあの子の役割?と・・・
でも、それに気づかなかったら?
またもや堂々巡りです

先日、追突事故にあいました
奇跡的に入院することもなく通院です
隣に2歳の娘もいました
眠っていた娘は起きることもなく帰り着くまでスヤスヤでした
担当の保険会社の方にも、あの場所で本当にありえないよ!守ってくれたんだね!と言われました
本当に私もそう思いました
守ってあげれなかったのに、守ってもらった・・・なんで??
なんてやさしいいい子なの・・・あなたは・・・やっぱりずっと天使だったんだね
オカルト?とも何かの宗教?と言われても関係なくあの子を感じることができた瞬間でした
変な感じですが私にとってはありがたい事故でした
なので体の痛みも気になりません

主人にも驚きが・・・
駐車場でなくした現金入りのお財布
もう出てこないだろうし・・・とあきらめていたら
まったく関係のない離れた場所から現金もそのままで警察に届けられました
ありえない
きっと困っているパパをあの子が助けてくれたに違いありません

支離滅裂ですが、みなさんにお伝えしたいと思いました
みなさんの天使は絶対いつもどこでもいっしょにいます
見えないだけ・・・

颯人ママ (2013-9-11 16:41 )
薫子ママさん、お久しぶりです。

そして、このスレを立てて下さったゲストさん、ありがとうございます。
幾分か心救われます。

本当にオカルトでも宗教でもなんでもいいので、ただ息子に会いたいです。
出産予定日が近づいてきた今日この頃(といっても、まだ一ヶ月ほどありますが)ホルモンバランスが崩れているのかなんなのか、これまで気丈に耐えてきたものが崩れ始め、昼間一人で家でいると、どんどん気分が落ち込み夕飯も何もする気がなくなります。

かといって、作らないわけにもいかず主人に泣いているのもばれたくないもので、主人の帰宅時間までには腫れた目をしずめ赤らんだ顔を鎮め、がんばってます。

きっと新しい命を迎えるに当たっていろんな不安があるからなんだと思います。
産まれてくることは楽しみ。でも、また子どもの異変に気付かず死なせてしまったら、もう私は生きていけないでしょう。

怖い怖い、助けてほしい、そんな思いがずーっと頭の中で回っています。

エコーでは息子にそっくりのお腹の子。生まれ変わりと信じたい、そう思って育てて生きたいしそう思い込めたらどんなに気持ちが楽なことか。

でも、お腹の子からしたら失礼な話ですよね、誰かの代わりに生まれてきたんじゃないって怒りますよね。しんどいです。心がついていかず、毎日色んな思いの堂々めぐり。

そして最後にはやはり自分が悪いんだと責める毎日。でも、それしかもうできないんです。誰かにそんなことないと言って欲しいわけでもないし、お前が悪いと言われたいわけではないんですが、自分で自分を責めるのが今は1番納得がいくんです。

何が言いたいのかわからない文章になってしまいました。
すいません。

ユキ (2013-9-23 18:35 )
実は私も事故で先月、入院し骨折の手術を受けました。
完全に、自分の不注意によるものですが、救急車で運ばれ、
その状況を見ていた人は、骨折だけで済んだのが不思議だと、胸を撫で下ろしていました。

だけど、無意識の中では、いつでもあの子の元へ…と望んでいる自分が。
正直、自分のことが怖くなりました。

自分を大切に思ってくれる人に心配をかけ、申し訳なく…。
息子に叱られた気がします。
そして明らかに守ってもらった、私もそう感じました。
守ることができなかった私の天使に。

薫子ママさんと同じく、自分にとってはありがたい事故でした。

息子が私の元に生まれ、旅立ってから、
私の周りに小さな不思議がたくさん起きます。
可愛い姿を見ることができなくても、触れることができなくても、
「いる」ということをわかってあげたいし、感じていたい。
そう思います。

歓び、不安、色んな気持ちが溢れてつぶれそうになった時は
「いいことだけ、いいことだけ、思い出せ」
アンパンマンの歌。

再発による二回目の骨髄移植をうける4歳の男の子が
同じ病気で闘い、無菌室にいる小さなお兄ちゃんの為に
その歌を歌っているんです…ドア越しに。
「もし自信をなくして、くじけそうになったら」って。
大人よりも子どもたちの方が色んなことを理解しているように思えます。

「先に旅立った愛する子とまた出会い、あの子だとわかる時
それは、何の迷いもなく、確信に近いレベルでわかる。」

「別の姿で、同じ眼差しで、あの時と同じやり方で
私たちの手を握ったり、じっと見つめたりするかもしれない。
そしてあなたには、わかる。」
ある精神科医の本にそうありました。
そこが地上でも、天国でも。

著者はもともと現実主義の左脳思考な精神科医でしたが
初めての子どもを亡くした一人の父親でした。
思想や哲学ではなく、確かな事を知りたいと
思っていたので医師が書く論理的な文面にはとても説得力がありました。

颯人ママ さん、「生まれかわる」
そう思うことが、おなかの赤ちゃんに失礼なことだとは
私はちっとも思いません。本当にそうかもしれないし
話せる年になった時、「お兄ちゃんに言われて来た」
そんなふうに話す子ども達もたくさんいます。
「心配ない、大丈夫だ」って、颯人ママ さんが思える日が来ますように。
元気に生まれて、穏やかに過ごせることを信じて祈ってます。

私も泣いてばっかり、頭の中は「ぐるぐる」なんですが
楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる?
最近そうかも…って思えてきまして。

意味不明ですいません。
半分自分に言い聞かせて書いています。

どうか笑える日が来ますように。私も、皆様も。

たくちゃんママ (2013-10-21 22:46 )
14年8か月と1日目、拓実は静かに逝ってしまいました。5月だったので、8月の初盆までの様々な行事が次々とやってきて、悲しみに鈍感になっていましたが、9月になり、彼の誕生日が近づき、どうしようもない気持ちの揺れを感じていました。そんな時にこのサイトに出会いました。何度も読み返し、自分で書き写して、「そうだったらいいのになあ」と思うばかりです。何度もサイトを開き、読み返し、感謝の気持ちを早く伝えたかったのですが、思いが溢れてパソコンの前で手が動かない有り様でした。

ダウン症児として生まれ、9か月の時、急性脳症で、けいれん発症。重度の肢体不自由児になり、自分で食べることも動くこともできず、笑うことも忘れたような状態でしたが、保育園に行ったり療育センターでリハビリをしたりしながら、ゆっくり成長して行きました。

少し落ち着いた頃、4歳になる少し前の夏に急性リンパ芽球性白血病を発症してしまいました。薬はよく効くほうで、寛解状態を保っていました。もう大丈夫と思った矢先の9歳、12歳、13歳、再発と治療を繰り返し、昨年14歳の誕生日を迎えて半月後、悪い細胞が出てきてしまいました。

これ以上の治療は疲れ果てた骨髄にも、体力的にも厳しいという現実に向き合わなければならなくなりました。今までも、何度も戻ってきてくれたので今回も大丈夫なのではないかと奇跡を信じて、というより、すがる思いで過ごしました。2月末までは外泊も通学もでき、4月には病室にいながら中学部3年生に進級できました。

5月上旬から呼吸状態が悪くなり、5月25日、土曜日の朝、眠るように息を引き取りました。いつもと同じように眠るだけのつもりだったと思うくらい、静かでした。

どんなにきつい状態でも、ひたすらに前だけを向いて、精一杯、今を生きていた子どもでした。亡くなる3日前まで口からご飯を食べました。腸の具合さえ良ければ、まだまだ食べられたと思うくらい…。
前日の午後は、担任の先生と一緒に前週にあった運動会のビデオを観ました。
だから、まだまだ大丈夫だと…人工呼吸器のマスクや点滴でかなりの重装備だったのに…。後から思うと、呼吸しているのが不思議な状況だったのに…です。

慌ただしさが一段落した頃、「たっくん」「たくちゃん」と毎日毎日呼びかけていた名前を、声に出して呼ぶことが少なくなったことに唖然としてしまいました。抱っこしてご飯を食べさせていたあの重さ、頬ずりした肌の感じ、言葉にはならないけど語りかけるような彼の声が遠くなってしまうことに、悲しみより怖さを感じてしまいます。
言葉での会話はできず、彼の思いを推し量ってのやりとりでした。だから、今となっては、本当にそうだったのか、彼の思いとは違う事をしていたのではないかと思ったり、自分のモノ(母親の所有物)だと思って、彼を尊重していなかったのではないか、大人になって欲しくないとどこかで思っていたから、早く逝ってしまったのではないかと、途方もなく、ぐるぐる考えてしまうこともしばしばです。

この場で私の思いを伝えることが出来て良かったです。なぜか思い切り泣けなかった私は、みなさまの投稿を読んで、ぽろぽろ泣いていました。
長くてまとまりのない文章で申し訳ないのですが、甘えさせて下さい。本当にありがとうございました。

しーちゃん (2013-10-24 0:28 )
旅立ってから 五ヶ月経ちます。秋の寒さが 寂しさを助長させますね。
悲しみは変わりませんね。でも私も歩き出さねばなりません、仕事を始めたり少しずつ取り戻していっています。仕事先には、子供連れのお母さんがたくさん来ます、、羨ましい。私にも同じくらいのこがいます、と心のなかでは言っています。
もう一度いつか会える、その日まで頑張ろう、あの子が生き抜いたようにママも頑張る!と思って生活してますが もう二度と触れられないんだ、、抱っこできないんだと思うとやはりたまりません。仕事を始めるまで絞って備えていた母乳もほぼとまり、母としてできることが減り、それもまた悲しい。。
子供の話をしたいのに 旦那とは離婚することになり、悲しみを分かち合うことさえできなかった。このような結果を子供が悲しんでないか、と考えてしまい、またごめんね、こんなママでと思ってしまいます。寂しいです、、。会いたいです。。トピちがいでごめんなさい。
会えることを信じてます、でもやはりたえがたい気持ちにもなりますね。そんなときどうしたらいいでしょうか、、、
虹 (2013-11-1 10:51 )
息子が旅立って1年が過ぎました。
病院のベットで一緒に過ごした日々は昨日の事のように感じます。
主治医から、病気の告知を受けた日、私は息子に
「頑張らなくていいからね。」と話しました。
小さな息子が私の言葉を聞いていたのか、確かめることは出来ませんが
彼は一週間後、突然逝ってしまいました。

動かなくなった小さな体と眠った夜は、強く願えば起きてくれるのではないかと思い
何度も手を握りました。冷たくなってしまった可愛い頬はやわらかく
全ての出来事が幻のように感じました。

息子のいない日々を、どう生きればいいのか、何を思えばいいのか
どうして私は生きているのか…
頭がおかしくなってしまいそうな恐怖と、胸を掻きむしるような苦しさで
何度も空を見上げ、声を出して泣いたけど、何も変わらないし、何処にもたどり着く事はできませんでした。

周りを見渡せば、自分に起きた出来事はあまりにも理不尽で
全てに心を閉ざし、誰か言葉や薄っぺらな慰めに失望し
いろいろな本を読んでは、納得してみたり、腹を立てて投げつけたり…。

先週、新しく建てた義父のお墓参りに行きました。山間にある美しい場所で、
墓地では幼い子供の年を刻んだ墓石をいくつか見ました。
ここに刻まれた子のお母さんは、きっと私と同じように毎日泣いたのだろうと思いました。
そして、この子のお母さんも、もう亡くなっている…と年を数えて、訳もなくほっとした気持ちになりました。

私も本当は知っているはずです。
息子は私の前から消えたわけでも、いなくなってしまったわけでもない事を。

いつか自分の意識が遠のき、深く目を瞑る時、
全ての理由や知りたかったことがわかるのかも知れないと、ぼんやり思います。

きっとその時は、とても温かくて、息子を初めて抱いた時のように幸せで
もう、お別れなんかないんだとわかるはず。

その時が来ることだけは確かなことだから、それを楽しみに生きてみようと思っています。

「死」。私はちっとも怖くなくなりました。あの子がもう見せてくれましたから。
一番初めに私の中で動き出した鼓動は、一番最後にとまりました。
頑張った小さな体はくたくたでしたが、誇らしげに見えました。

私は何度も「ありがとう」と言い
「お家に帰ろうね」と言えなかった言葉をかけました。

一番大切で、一番失いたくないものが消える瞬間は
ただただ自分の無力を痛感するだけでした。
だけど、耐え難い悲しみは、少し麻痺するようにできていて
何もかもぼんやりと見え、慌しい病室の中の音は遠くで聞こえているような感じがしました。

火葬場の帰り道、雨上がりの空に大きなアーチの虹が出て、
それが二重だったので驚きました。

一年後の同じ日に、毎日泣きながら見上げた窓の向こうに
また虹がかかって、はっきりとしたダブルのレインボーでした。

姿の見えないもの、声を持たない思いは、見過ごしてしまいそうですが
たくさん、あちらこちらにちゃんとあって、泣いてるお母さんを見ては
何とか届くようにしてくれているように思います…。

どうしても会いたくなって、切なくなるときは
私は胸に手を当てて、「私の体中、何処にでもいる、わかってる。」と
自分に話します。

息子の選んだ全てを、私に起きた全ての出来事に
感謝できたらどんなにいいだろうと思います。

カテゴリー: 分かち合い

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