
[悲しみがやさしくなるとき ~子どもを亡くしたあなたへ~」
エリザベス・メーレン/著 東京書籍より引用
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以下の不文律がすべてのケースにあてはまるわけではありませんが、利用できる不文律があることを知っていれば、長い悲しみの旅の途中さまざまなときに、それが役立つこともあると思います。
■悲しむときには、プライドや言い訳は必要ない
死別によって生じた深い悲しみは決してすばらしいものではありません。でも、「いい悲しみ方」は存在します。いい悲しみ方というのは実際には悲しみに身をまかせることを意味します。
涙を流したければ流せばいい、大声で泣きたければ泣けばいい・・・これがいい悲しみ方です。このようなことをしても後悔したり、言いつくろったりする必要はありません。プライドなど、この際関係ないのです。
■悲しみがエネルギーを消耗させる
悲しみからくる疲れはほかのどんな疲れとも異なっているように思います。悲しんでいる人間の持つエネルギーの量はとても不安定で、人によってもさまざまです。そのことを認識し、尊重することが大事です。つまり自分のエネルギーを慎重に配分し、なんであれ、以前はしなければならないと思っていたことが、ただどうしてもできない日もあるのだと認める必要があります。
■子供を亡くして悲しんでいる親も、見た目はほかの親と同じ
悲しみにくれる両親も見かけはほかの親たちと同じです。これが事態を厄介にします。現在の「立ち直りの速い」社会では、ふつうの人とほとんど変わりない私たちの姿を見て、人々がかける言葉の大部分は、無邪気な、けれどもときには馬鹿げた言葉です。見た目が元気なら元気にちがいないと決めつけて、人々は「元気そうね」などと声をかけてきます。そういった言葉に私たちがこれほどまでに傷つくのは、一つにはそれが原因なのでしょう。
■自分のことを知らない人と時間を過ごす
「身を隠したい」と思ったときには、あなた自身のことも、あなたが抱える悲しみについてなにも知らない人たちといっしょにいると、とても心が落ち着くことがあります。
■ユーモアが悲しみをやわらげることもある
子供を亡くした人はお互いに言いたいことをなんでも言える、だれも批判したりしない。このように自由に話ができることで、苦痛がやわらげられる場合もよくあります。子供が先立ち親が残されるという、ひっくり返った宇宙の無情を訴える相手ができるからです。悲しみにくれる両親が大笑いする姿を見て、不謹慎だと思う人もいます。けれど私たちの痛みは本物です。悲しみが消えることは決してありません。でも陽気な気持ちになれる時間が、驚くほど心安らぐ休息の時となることもあります。
■悲しみに進行表はない
悲しみは行ったり来たりします。そこには進行表はありません。
■するべきこと、してはいけないこと
するべきことは自分のペースで自分をいたわってやることです。してはいけないのは、他人の期待に合わせようとしてエネルギーを消耗し尽くしたり、期待に添えないからとがっかりしたりすることです。
■悲しみの大きさは比べることはできない
子供の死は比較できません。このケースの方が「ましだ」とか、こっちのほうが「ひどい」といったことはないのです。私たちは、どのくらい子供といっしょに過ごすことができたかは、子供を亡くした事実の前ではまったく意味を持たないことを知っています。だれの悲しみも、ほかの人の悲しみと比べて大きいとか、小さいとか言う必要はありませんし、まただれの悲しみも、一瞬たりとも軽んじられることがあってはなりません。
■悲しみを経験した人はひそかに心を通じ合う
子供を亡くした親たちは本能的にたがいを見分け合い、引き寄せられます。私たちは共通の言葉を持っていて、それがおたがいのコミュニケーションを速めます。
みなさん、はなさん、こんにちは。
この引用を頷きながら読んでしまいました。
私は主人の前で泣くと叱られます。
泣くのは旦那が出勤している間の時間だけです。
幸い下の子がまだ小さいので、思い切り声を上げてワンワン泣きます。もう立っていられないほど泣きます。
最近は娘の残していった物にやっと手を付けられるようになってきたのですが、
家の中の片付けなどをしていて、心構えがないときにふと娘が書いた手紙などを見つけてしまうと、
もうどうにも抑えられなくなって、とにかく大きな声で泣いています。
絶対に近所の人には聞こえているはずです。
下の子も最近は私が泣いているのが分かってきて、
メソメソし始めると、そばによってきて頭をなぜてくれるようになりました。
その時は悲しみのあまりどうにかなりそうで、これからの私の残りの人生をどうやって歩いていったらいいのかすら分からないぐらいなのに、
ひとしきり大声で、いっぱい泣くと、スーッと落ち着いたりします。
旦那は哀しんだり、辛いと言ったりして泣くと怒るけれど、
泣くのは必要だな~と実感していたところです。

皆さん、こんばんは
読みながらその通りだな~と感じ、最後の
「悲しみを経験した人はひそかに心を通じ合う」
に、大変共感しました。
私も主人の前では泣きません。
天使になったKの妹、(下の子供)の前でも泣きません。
何故か・・・?泣けないのです
逆に明るく振舞ってしまう時も ・・・
それは、主人がなんだか仕事で疲れていたり、落ち込んでいるように見えるから・・・かな~ ?
そして、買い物に行く時の車中や一人で家にいる時に・・・
もしくは、下の子供が夜眠った後・・・泣きます!!
だけど、本当に涙を流すとすっきり!
涙を流す為のサロンがあるらしいですが納得です
(色々なストレスが軽減できるそうです)
私達?にとって涙を流すことは必要で大切?な事に思えますね

いちごさんのご主人は怒るんですか。
自分は我慢しているのに~と思うのでしょうかね?
うちの主人も、まだ入院したばかりの頃は
「他の子供の前で泣くな」と言っていましたが
亡くなってしまった今は私が泣いてもなにも言わなくなりました。
主人だって葬式の挨拶で泣いていたし、
その後のごたごたで子供の前で声をあげて泣いていたし。
うちの子は、もうそれほど小さくないので
私が泣くと「はちひめのこと?」と下の子でも言います。
上は小学生なので当然もうわかっています。
泣いて当たり前の辛いことがもう実際に起こってしまったんだから、
子供の前で泣いてもいいかなって思っています。
(確かに泣くとある程度すっきりするので
それほど長く泣き続けているわけじゃないし・・)
ご主人はどこで泣いているんでしょうね・・。
うちの主人もそうですが、あまりに溜めているのも心配ですよね。

みなさんこんばんは
私も主人や下の子(小学校3年)の前では泣きません。泣きたい時は、昼間一人きりで写真の前で思い切り泣いています。そうすると、すっきりした気持ちで家族と普段どおり話ができます。
下の子は葬儀の時に、あんまり泣かないで、と言いました。普段子供の前で泣くことがなかったから、びっくりしたんでしょうね。
そう言われてから、子供の前で涙を見せられなくなってしまいました。
でも、どこかで気持ちを外に出すことって大切ですよね。
そうしないとつぶれてしまいそうで・・・

こんにちはぁ~。
私ね、旦那の前で今まで泣いたことなかったんです。
気持ちを吐き出して泣いたりすること出来なくなっていて。
でも、こーたんが亡くなって旦那が仕事に行くようになって
一人で家で過ごすようになった時何かのきっかけで
大泣きしたことがあって、それを引きずったままにしてたとき
旦那が帰宅して・・・
で、旦那がご飯食べてた時に「今日はダメな日だったよ・・・泣いちゃった・・・」と言いながら泣いてしまったんです。
そしたら、旦那も「自分は仕事しているからガマンも必要で自分のやりたいようには仕事は出来なくて・・・お客さんの前では笑いたくなくても笑ってなきゃならないし奥に引きこもったら自分がダメになってしまう・・・オレ結構ゲンカイ・・・」と言いながら旦那も泣いちゃってね。
それから旦那は眠れるようになったといい、私は旦那との距離が縮まったと感じました。
でも、それからはお互い泣きませんね。
あたしはこっそり一人のときに泣いてますけどね~。
泣くことは大事ですよね。

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