13歳の次女を急性骨髄性白血病で亡くしました

子どもを亡くした天使のママ はじめての投稿

はまちゃん (2014-6-20 14:25 )
はじめまして、先月の初めに13歳の次女を急性骨髄性白血病で亡くしました。明後日四十九日を迎えます。日を追うごとに寂しさ、悲しさ、後悔、申し訳けなさ・・・が強くなっていて・・しんどいです。

娘は骨髄移植を姉弟から幸運にも2度も受けれましたが・・ダメでした・・1月末には「もう、完治は難しいです。緩和に・・」と宣告を受けました。

それからは、少しでもいい時間をと行きたがっていたショッピングに連れていったり、食べたい物をたべさせたり、片道3時間かかる家に連れて帰っていました。娘の嬉しそうな顔を見るのが嬉しくもありましたが切なさが強かったです。

「元気になって学校行けるようになったら、これ使うの」「さすがに、お母さん、夏休みには退院できるよね」等々・・何か娘が言う度に、申し訳けなくて、申し訳けなくて、うそをついてる事が・・

4月に入り、体調が優れない事が増えて、「お母さん、私、大丈夫だよね?○○(弟)の細胞になってるんだよね?」最期まで私は、治ると信じて闘っていた娘、最期、家族全員が見守る中亡くなったんですが、最後の最後に目を開けて、家族をじっと見ていたように見えたんですが目が合った感じの時に「お母さん、私、頑張ったのに・・何で?・・」と言われているようで・・

今もいろんな方は「ずっと付き添っていたお母さんには感謝してるわよ」と言ってくれるのですが・・ずっと、言わば、うそをついていた自分が・・そうするしかなかったんですが・・申し訳けなくて、病気ももっと早くに連れていっていたら・・違っていたんじゃないかとか・・色んな事が可哀想な事をしてしまったと・・辛いです。

こんなことは、同じような体験をされた方ではないと、絶対に分かりあえないとこの1か月でよく分かりました。母親にまで、あと、二人いるんだから、あんたが、頑張らなどうするの?と言われました。

早く、働いたら?考える時間があるから余計辛いのよと言う人、買い物していたら「思ったより元気で安心した」と言う人、息子と遊んでたら「もう、すっかりね、○○さんは強いは!」と言う人・・元気な訳ないじゃないですかね・・可愛い、優しい、娘に会いたくてたまりません

sayamama (2014-6-20 17:52 )
はまちゃんさん、こんにちは。

お気持ちすごくよくわかります。娘は20歳だったので、担当の医師が亡くなる12日前にいきなり「あと1か月もたない、これからは生命を長らえさせることよりも、緩和ケアを重視します」と言った時、本来は成人なので本人に告知すべきだと言われました。でも小さい時からずっと娘を見てくれていた、前の病院の主治医に相談したら、怖がりの娘にそんな重い現実を受け止めるのは厳しい、かわいそうだと言われ、告知しないでくれと言いました。

それまでもかなり厳しい状況だったのに、絶対治ると言って、色々と辛い事をさせてしまいました。導尿管、酸素マスク、絶対嫌だと言ってた鼻チューブetc。医師に「先生の言った通りにしてるのに、なぜちっともよくならないの!」と娘が食ってかかった事もありました。

うちは腸閉塞を起こしていたので、食べても飲んでも吐いてしまい、「おなか減った」と言われても「吐くからダメ(実際吐くのは苦しそうでした)」と言って食べさせてやらず、ほんの少しの冷やしたお茶をストローで飲む時は、「一番幸せな時だ」と弱った声で言ってました。本当に入院前の最後となった外食で、娘の食べたがった鳥そうめんを「高い」と食べさせてあげなかった事を、今も悔やみます。

でもはまちゃんさん、私はうそをついたのではないと思ってます。医師から宣告を受けても、奇跡を願いませんでしたか?万に一つの可能性を信じませんでしたか?私は信じました。奇跡が起こるように願い続けました。結果的にそのせいで、最後まで娘を苦しめてしまった事は後悔してます。でもうそをついて娘をだましたとは、今も私は思っていません。だってそう簡単に、愛する娘を諦めることなんてできないじゃないですか。大人だって死の宣告なんて受けたら相当ショックです。ましてや13歳、「もうあなたは死ぬのよ」なんて、親は口が裂けても言えないですよ。

ゆきぴー (2014-6-21 23:37 )
はまちゃんさん sayamamaさん 
読んでまた涙が止まらくなりました
気持ちがわかりすぎて。。。
私は3ヶ月経つ少し前に仕事に戻ってみました
元気そうで安心した とか言われると同じように思う事も
あります。
そして 自分が元の生活に戻っていくことに違和感を感じます。
娘は生きたかったのに それさえ叶わなかった
世の中は何も変わらず
季節が進んで その世の中に母親の私までが以前と同じように
生きていることがたまらなくなります
はまちゃん (2014-6-24 11:58 )
sayamamaさん、ゆきぴーさん、有難うございます。

日曜日に四十九日を終えました。sayamamaさんがおっしゃって頂いたように、私も最後まで奇跡を信じていました。血液がんですので毎日、採血があり結果を見ていました。癌細胞は増え、それに伴い白血球の数は最後は一日で10万も増えていました。

娘は亡くなる四日前位から酷いせん妄が出てしまい、叫びたおしましたので、最後は鎮静剤を投与しました。眠りながら、しんどそうな呼吸を前日からしていたのですがそんな状態でも、検査結果でも、この子は大丈夫、又、お父さん、お母さんと元気に言ってくれると信じておりました。

なので、最期、脈が落ち、心拍が減ってきて、医師、看護師さんが病室に集まってきても、現実を受け入れられない自分がいて、抱いてやる事もできず、手も握ってあげれた記憶もないんです。それもまた、大きな後悔の一つになってしまってます・・

緩和に入ってから3月に私と病院の近くのショッピングモールに行って娘曰く、「こんなに欲しい物をいっぺんに、大量に買った事ない! めっちゃ嬉しい~」と大興奮しながら買った物が娘の机の棚に並んでます。使いたかったやろなあと・・天国に荷物が届けられるならば、送ってあげたいですね。

sayamama (2014-6-24 22:17 )
ゆきぴーさん、元の生活に戻る違和感、罪悪感?わかりますよ。でもきっと娘たちは、自分たちの分まで頑張って生きて欲しい、と思っているでしょうね。

私も頭ではわかっているのですが、もともと13年間もずーっと娘と、家や病院で過ごしていたので、今更娘なしでどう生活していいかわからず、落ち着いたら仕事にでも行こうなんて思っていたのに、怪我の後遺症で外出もままならずで、結局家に閉じこもって泣いてばかりなので、さぞ娘が天国で心配してるだろうなあ、「もう!お母さん何やってるの!」と言ってるんじゃないかな、と思います。

はまちちゃんさん、本当に天国に荷物や手紙が届けられたらいいのにね。
うちも亡くなる1か月ちょっと前に、前から行くと言っていたイベントに、外出許可をもらってお友達と行って来て(会場まで私が車いすで送迎)、「楽しかった~」と戻ってきました。その時の同人誌や、入院前に予約していた娘の好きな歌い手さんのCDが、入院中お店に届いたので、私が取りに行ったのですが、「ラジカセと一緒に持ってきてあげようか?」と言ったのに、「病院で聞きたくないから、退院してから家で聞くからいい」と言って、結局聞けずじまいになってしまったのなどを送ってやりたいです。

そのCDはせめてもと、葬儀の日にかけてもらったのですが、私はもうその時は曲も歌詞も耳に入ってくる状態ではありませんでした。
でも不思議な事があったのです。

娘の葬儀があった週末が母の日でした。毎年必ず母の日には、娘がプレゼントをくれていた事を思い出し、「今年からもうもらえないんだね」と娘の前で泣いていました。その後何気なく、そのCDを聞いてみようという気になり、聞いていたら最後の曲が「MOTHER」という曲で、母親への感謝の気持ちを歌った曲だったのです。もうそれを聞いて号泣しました。娘はちゃんと天国から、母の日のプレゼントを贈ってくれたのです。

こちらで出会えたのも何かのご縁、きっとゆきぴーさんやはまちゃんさんの娘さんも、同じ思いなのでは?と思います。動画サイトで聞けますので、ぜひ「96猫 MOTHER」で検索して、聞いてみて下さい。

はまちゃん (2014-6-25 10:36 )
世間はワールドカップ一色ですね(今日、負けましたが^^;)
2020年の東京オリンピック、娘は丁度、20歳になる年。見に行ってみたいなあと言ってました。ゆきぴーさん、本当に世間は何も変わらず過ぎて行きますね。

sayamamaさんのお嬢さんも5月に亡くなられたのですね。うちも数日後が母の日でした。三人の子供の中で一番、家族の誕生日やらを大事にしてくれる子でした。亡くなる数日前が主人の誕生日でした。毎年、手紙を書いてくれていましたが、体調が悪く書けない事を自分はしんどいのにすごく気にしていて当日もずっと寝ていたのですが、夜、ふっと起きて「お父さんに電話する」と弱い声でしたが「おめでとう」と伝えてました。

今月が私の誕生日でしたので「お母さん、来月、何が欲しい?」と聞いてくれたので「おめでとうと言ってくれるだけでいいよ」と言うと「そりゃあ、言うよ」と笑ってました。結局・・・。

MOTHER聴きました。涙が止まりませんでした。まだまだ、娘のMOTHERでいたかったですね。まだまだ、沢山、お世話してあげたかったですね。

ゆきぴー (2014-6-25 23:41 )
mother 聴かせてもらいました
私も涙が止まりませんでした 

いつも お母さんの子供でよかったと言ってくれていました
自分が二十の時 母にあんなに素直に感謝の気持ちを伝えることが
できてたのかなと よく思いました
それは やはり病気ををして成長した部分なのかな と思い
辛い病気をしたけれども なんとかうまく病気と付き合ってやって
いけたら 患ったおかげで知り合えた人 気づけたことも
いっぱいあったね といつも話していました
今回も再発のでは ないと信じ 意識がなくなってしまってからも
戻ると信じていました
そのまま 逝ってしまうなど考えてなかったので。。。

心の中の穴が 大きすぎてどうしても前向きになれず
どう 折り合いをつけていけばいいのか 毎日同じところを
ぐるぐると回っています

sayamama (2014-6-26 18:01 )
はまちゃんさん、お空にいってしまっても、私達はずーっと娘たちのmotherです。それは変わりませんよ。ただお世話してあげたり、話したりできないのが辛いですよね。

ゆきぴーさん、本当にぽっかり空いた穴を抱えて、思考が同じところを空回りばかりしてますね。
私の娘は、亡くなる数日前に「お母さん大好き、ギューして。お父さんとお母さんの子供に生まれてきてよかった」と言ってくれました。それを聞いて私は胸がいっぱいになり、ただ娘を抱きしめることしかできず、「お母さんもあなたが大好き、あなたが娘として生まれてきてくれてよかった」と言ってあげられなかったことが後悔です。

ゆきぴー (2014-6-27 17:01 )
二十になって そんなに素直に愛情表現してくれる子はやはり
少ないとおもいませんか?
短いけど濃く生きてくれたのかなと 納得できないながらも
自分に言い聞かせようとしています
買い物に行っても これが好きだった あれが好きだった
ここに来たとき 帰りに寄った店だ とかたくさんの思い出ばかり
が頭の中に 浮かんでしまいます
そしてまた どうして娘がと 同じ考えが 支配してしまって
動きまで止まってしまい 周りから見ると
またぼーっとしている ようにみえるようです
頭の中は何も 解決しないことを一生懸命考えているのですが
sayamama (2014-6-29 15:38 )
ゆきぴーさん、娘には告知しなかったけれど、自分の死を薄々感じていたようです。他にも「もっとお父さんとお母さんと一緒に暮らしたかった」とか「楽しい人生だったよ。生まれてきてよかった」と言ってくれました。「もう私明日死んじゃうかもしれない」と泣いたことも。そんな事ないと否定しましたが、やっぱりわかっていたのだと思います。

そりゃそうですよね、告知うけてから、夫は会社を休んで昼間ずっと病室に来てましたし、遠方に住む息子も呼び寄せて、毎日顔を見せにきてましたし、私も時々娘の前で泣いてしまってたし、自分の体はどんどん悪くなっていくのが自分でもわかっていたと思います。あの小さな体(病気のせいで20歳でも小学生くらいの体格でした)でどんなに怖かっただろう、と思うとかわいそうでなりません。

買い物、辛いですよね。思い出が多い分、悲しみも大きいですよね。
昨夜、ネットサーフィンしていて、息子さんを病気で亡くされたお父様が書かれたサイトを見ました。そこに、「もし神様からやり直しをさせてやるけど、病気の子供を最初から授からずに全く知らずに人生を送るか、死別という同じ結果になってもまたあの子を授かるか、どちらを選ぶ?と聞かれたら、迷わず後者を選ぶ」と書いてありました。

ああ、私もそうだ。娘と過ごした20年は私の至福の時。だからこそ今悲しいのだけれど、でも娘との出会いは最高の宝物。もしやり直せたとしても、私はまたあの娘の母親になってあの娘と過ごしたい、そう思いました。そう思った時、あの宝物のような娘との時間を、後悔や悲しみばかりでくもらせてはいけない、と思いました。

そう思いながらも、今朝目覚めて、また娘のいない一日が始まる、と思うと全身から力が抜けてしまったんですけどね。でも何年もの時間をかけて、少しずつ娘とのあの思い出を、磨いて今以上に輝かせたいと思います。そのためには、私自身があの子の分も、一生懸命生きるしかないんですよね。

そう悟りつつも、まだまだ前進できない私ですが、毎日何か一つでもあの子の前で「お母さん、今日は頑張って○○をしたよ」と報告できるようになりたいです。

ゆきぴー (2014-6-29 23:36 )
そうですよね 二十歳ですものね
意識があれば 大体のことは言わなくても悟ってしまいますよね
娘は 私がずっと付き添っていたことはわかっていたと思いますが
主人まで 仕事を休んで毎日 いてくれたことは意識が薄れていく
中だったのでわかっていたのか どうか。。。
絶対 なんとかしてくれると最期まで信じていたと思います
何もしてやれなかったのですが

私もそのサイト 娘が亡くなって 1ヶ月ぐらいの頃に見たと思います
私も同じ気持ちですが もっともっと健康に気を配っていたら病気にならなかったのでは とか思ってしまいます
まだ 3ヶ月しかこの状況と戦ってない ひよっこです
sayamamaさんは 一年以上 この状況と戦われて
一進一退しながら 一生懸命生きてこられた 私の大切な先輩ですね

sayamama (2014-7-4 17:45 )
ゆきぴーさん、1年以上たちますが、一進一退どころか、いまだに同じ所でうずくまってるような気がします。
なんとか顔だけ、あげたり、また下げたり・・・って感じかな。
いつになったら立ち上がれることか・・・・。
でも焦らずゆっくり、立ち上がって、前進できるようになりたいです。
ゆきぴー (2014-7-6 0:48 )
sayamamaさん
前進できるようになりたいと思えるまでに一年以上はかかる
という事ですよね 本当にゆっくりでも前進できるように
なるまでにまた時間がかかって この先 ずっと立ち上がったり
またうずくまったりするんでしょうね
そりゃそうですよね 自分の子供ですもの
自分より ずっと大切な存在。。。
まさか 目の前から突然いなくなるなんて考えられなくて
今でも どうして?どうして?と問いかけてしまって
娘を苦しめてしまっているように思います

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