脳腫瘍(グリオブラストーマ):12歳の娘を亡くしました

子どもを亡くした天使のママ はじめての投稿

りんのす (2013-1-22 11:34 )
初めまして。私は2013年1月3日に12歳の娘を脳腫瘍(グリオブラストーマ)で亡くしました。
御通夜も葬儀も火葬後のお骨を見ても涙が出ず、自分の心理が自分でもよく判らなくなってしまって、このサイトにたどり着きました。
ものすごく淋しいとか悲しいという思いも、実はあまりないんです。
喪失感が全然なくって…。
娘とは今もちゃんと心が繋がっているという思いが勝っている感じです。
お世話になっている御僧侶の言葉で「生命は永遠常住です。眼に見えなかった生命が自分の子供となって、今度は産まれる前に帰って行った。眼に見えても、見えなくても、生命は繋がっている。」
この言葉が今の私を支えてくれています。
それでも、義両親などに「あんたは気丈だ」「強いね。私は無理」などと言われると、泣かないことが悪いことのような気になってしまい落ち込みます。
なんというか、娘の死への純粋な悲しみよりも、外野の何気ない言葉や気遣いの方が胸を切り裂き、傷つきますね。相手は決して悪意はないのでしょうが。
あー、支離滅裂、愚痴ってしまってすみません。
それにしても娘の最期の顔は(生きてる時もだけど)本当に可愛くて笑っているようで神々しさもあって、本当に自慢の娘だと胸を張って言える、最高に親孝行の娘です。
yagiko (2013-1-24 18:10 )
はじめまして。娘さんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。
私は先月6歳の息子を亡くしました。四十九日を終えたばかりです。
自分の心理状態がよくわからない、という感覚、私も当てはまる気がします。
私も自分が思っていたよりも(病気だったので、以前から心のどこかで失うことの恐怖感がありました)自分が元気なんです。ちゃんと食べられるし、ちゃんと寝られる。息子が私に元気が出るパワーを置いていってくれているかのようです。
何かの折に涙は出ますが、息子の魂はちゃんとそばにいる、という思いが強いせいか、耐え難いほどの寂しさはありません。
葬儀も法要も粛々と取り仕切っている姿を見て、周囲の人は気丈だ、と言います。
でも、心がシャットアウトしているような感覚もあります。
周囲からいろいろな心配、慰め、励ましもいらないんです。
他意はなくとも、外部からの声に傷つくこともあるし、疲れることもありますよね。
実は喪失体験が大きすぎて、感情を自分の奥底にとどめて蓋をしているのかもしれません。
グリーフケアやヒプノセラピーも受けましたので、それが自分を落ち着かせてくれているのかもしれません。
グリーフの専門の方とお話したところ、喪失体験をした後にみんな「私って変?」って思うんだそうです。「毎日泣いてばかりで元気になれない自分は変?」逆に「泣けない自分は変?」(長い介護などをされた場合は)「開放感を感じてしまうのは変?」など。
でもどの「変?」も「変じゃない」と。
大切な人を亡くすということは、自分自身の一部を失うことと同じ。
どんな状態に自分がなっても、おかしくないし、受け止めてあげればいいんだと思います。

私も命(魂)は永遠だと信じています。
息子もりんのすさんの娘さんの魂も絶えてなんていません。
必ず、また会えるし、また親子となって生活することも出来ます。
そう思えれば、前を向けます。

私にとっても自慢の息子でした。お互い、大切な素晴らしい子供を授かれて幸せですね。永遠に一緒にいられますから、安心して生きていきましょう。

りんのす (2013-1-24 23:07 )
yagiko様

ありがとうございます。

再発後、再手術できないと分かり余命宣告を受けた時には、そりゃもう夫婦で号泣しました。
可哀相で悲しくて、今こんなに悲しいのに、いざ「その時」が来てしまったら私は娘のいない人生を耐えることができるのだろうか…と思っていました。
でも今。本当に不思議というか、何故だかわかりませんが、こんなに冷静な自分に驚いてます。
「無理に自分の気持ちを抑えなくていいんだよ」とか「一人きりの時にでも娘の着ていた服を抱きしめて、娘との楽しかった事を思い出しながら思いきり泣いた方が前に進める」とか「悲しみを誤魔化さなくてもいいんだよ」とか…そういう事を言われたりすると、「あー、やっぱり悲しまなくちゃダメなのか…」みたいに思っちゃうんです(◞‸◟ㆀ)
愛する子供を失ったのだから、泣いたり落ち込んだり食欲がなくなったり痩せたり鬱になったりするはず、そうならないのならばそれほど子供を愛していなかったんじゃないか?…なんて思われていたら嫌だなぁとか思ったり。
だから周りは「泣け泣け」言うのかなー?とか。

>>どんな状態に自分がなっても、おかしくないし、受け止めてあげればいいんだと思います。

yagikoさんのこの言葉にちょっとホッとしました。

yagiko (2013-1-25 11:22 )
りんのす様

返信ありがとうございます。こういったところに書き込むのははじめてでしたが、書くことで自分自身の癒しに繋がっていくような気がいたしました。機会を与えてくださりありがとうございます。

周りの方々も励まそうと一生懸命なのでしょうけれどね。そのお気持ちはありがたく受け取って、後はほっときましょう!(笑)私はそんな気分です。

元気でいられること、冷静でいられること、素晴らしいじゃないですか。

りんのすさんと娘さんがそれだけ今この瞬間も強い絆で繋がっているということかもしれません。潜在的な世界で、娘さんとの一体感を感じられているから、強い悲しみがこみ上げてこないのかもしれませんよ。例えば、忘れているだけで寝ている間に娘さんと一緒にいて楽しい時間をすごしているのかもしれません。
または、あまりに悲しみが強く、自分自身を守るために、感情表現が鈍化しているのかもしれませんが、いづれにしても、大丈夫。愛に溢れています。
どんな自分もあり!です。

泣くことが、愛情の深さを測るスケールではないですよ。
(もちろん泣くことを否定しているわけではないです。自分自身のデトックス、癒しに繋がる行為だと思います。)

私はこれでもう息子と永遠にひとつになれたと思っています。
息子は病気の苦しみからも解放され、自由に過ごせている。そして、ずっと私たちは繋がっている。姿が見えないことやこの世での成長をそばで見守れなかったことが残念ですが、でも息子が今幸せな世界にいると思えれば、その残念な思いに自分自身が執着していてはいけないなぁと思っています。

りんのす (2013-1-26 13:19 )
yagiko 様

本当にありがとうございます。
私もこういう掲示板に書き込むのは初めてでしたが、投稿して本当に良かったです。
yagikoさんの言葉のおかげでとっても心が軽くなりました。

私も泣くことや悲しみに浸ることを決して否定するつもりはないんです。
それが当たり前なことで、悲しみが強すぎて辛く苦しい思いをされている方が、なんとか立ち上がらなければと必死に努力していらっしゃる。
立ち上がるヒントを求めてこのサイトにたどり着いた方も多いと思います。
子供を亡くすという希有な経験を持つ方は身の回りにはあまり居ませんから、なかなか相談もできませんし、気持ちの共有も難しいですからね。

経験のない方々が私達を励まそうとする言葉は、結局想像で物事を言っているに過ぎない。その一般的な想像が、実際の私の冷静な態度と違うと「おかしい」と言う。
「きっと無理をしているに違いない」「気持ちを誤魔化そうとしているはずだ」と思いこみそれを押しつける…まるで自分が間違っていると指摘されているようで悩みました。

でもyagikoさんの言うとおり、「その気持ちはありがたく受け取りあとはほっておく」ことにします(*⌒∇⌒*)
結局、私の方も「どうせあなたには分からないでしょ」っていう卑屈な考えがあったから素直に言葉を受け取れていなかったのだと反省しました。

目が覚めた思いがします。yagikoさん、本当にありがとうございました。

yagiko (2013-1-29 9:54 )
りんのすさん
こちらこそ、ありがとうございます。
ゆっくり、のんびり、お互い顔張っていきましょ☆
marin (2013-2-11 17:26 )
りんのす様、はじめまして。
1月31日に、8才の一人娘をやはり脳腫瘍(脳幹グリオーマ)で亡くしました。
私も不思議と喪失感がないんですよね。
むしろ、以前にもまして娘が側にいるような気がしてしかたないんですよ。
誰に対しても優しくて、頑張り屋で、本当に自慢の娘でした。
闘病中は、娘を失う恐怖心でいっぱいでしたが、
今は、とても穏やかな気持ちです。
おんなじような気持ちの母親がここにもいるってことで
レスさせていただきました。
いつか、きっとまた娘に会えるような気がします。
りんのす (2013-2-12 11:31 )
marin様
初めまして(・∀・)
レスありがとうございます。同じような気持ちの方がいらっしゃると思うと何だか安心します。
私の娘の場合は再手術できないとわかった後、自宅療養を選択し亡くなるまでの5ヶ月間ずっと側に付いていて、亡くなった日はお正月休みで主人もお兄ちゃんも家に居たので家族4人だけで、最期の一息まで一緒でした。
痛みや吐き気が出なかったおかげで自宅での看病が出来ましたが、それでも日に日に麻痺が広がっていったり、傾眠が強くなってきたり…。
昨日出来ていたことが今日出来なくなっている…その積み重ねをずっと側で見ていて、何て言うか、少しずつ娘を失っていくような感覚がありましたし、同時に本当の最期に対する覚悟も徐々にできていった…というような感じでした。
娘にしてあげられることは全てやりきった!というような達成感に似た気持ちがあることも、今、穏やかな気持ちでいられる一因なのかな?と思います。

>>以前にもまして娘が側にいるような気がしてしかたないんですよ。
私も全く同じ感覚です!なんかいつも側にいてくれるから安心!みたいに感じています。
昨晩、娘が亡くなってから初めて夢に出てきてくれました(*^ー゜)b
みんなで釣りに行ってきましたよ~。楽しかったな(*´∀`)

marin (2013-2-18 10:08 )
りんのす様

>昨日出来ていたことが今日出来なくなっている…その積み重ねをずっと側で見て>いて、何て言うか、少しずつ娘を失っていくような感覚がありましたし、同時に>本当の最期に対する覚悟も徐々にできていった…というような感じでした。

 まさに、私も同じです。
娘の病名や余命宣告をされた時は、本当に苦しみましたが、
徐々に覚悟していったんですよね。
うちも最初は、最期は自宅で…と思っていたのですが、水頭症も併発してしまい、嘔吐したり、嚥下障害も酷くなってしまったので、病院で最期を迎えました。
約2ヶ月ほど入院していましたが、その間、主治医や看護師さんたちによく看てもらえて、これで良かったんだと思うようになりましたよ。
 入院中は、娘が亡くなったら、私は食事も出来なくなるほど毎日泣いて、引きこもりになって、気が狂ってしまうのでは…などと思っていましたが、
毎日、ご飯を食べて夜も眠れて、娘が生きていた頃となんら変わりはない生活を送っています。他人は、気丈に振舞っているなどと思いがちで、哀れんでいるようですが、残された家族が元気にしていることが何よりの供養だと思いますからね。
おそらく、日が経つごとにまた悲しみが増してくるとは思いますが、泣きたい時には泣いて、自分の感情に素直になろうと思っています。
 ちなみに娘の遺影は、最高の笑顔でピースサインをしています。
毎日、その笑顔を見ると本当に癒されます。

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