左脛骨骨肉腫 16歳で天国へ旅立ちました

子どもを亡くした天使のママ はじめての投稿

しゅんや母 (2009-11-26 22:49 )
はじめまして。
私の息子は10月22日に16才1か月で天国へ旅立ちました。
病名は「左脛骨骨肉腫」。去年、中学3年の7月末に入院して、術前抗がん剤→手術→術後抗がん剤治療中の今年の5月に気胸になり、それを治す為、肺の手術をした時に肺を見たらCTには写らない大きさの転移が無数にあり、治療不可能になり余命1年と宣告されました。しかし進行が早くて、それから5ヶ月で亡くなりました。
病気になる前は、中学校を一度も休む事もなく無遅刻、無早退の元気者でした。運動が大好きで野球部に所属していました。亡くなる前は野球で鍛えた筋肉質な体は老人のように細くなり、人工関節で歩けなかった為、足は棒のようで、ほんとに可哀想でした。
どんなに苦しい治療でも私にあたる事もなく、文句一つ言わないで頑張ってました。絶対に治ると信じていたからです。
どうせ亡くなるなら、早く死を迎える事になっても治療なんてせずにぎりぎりまで大好きな学校へ行かせてあげればよかった。もっと、骨肉腫で有名な病院へ行っていたらこんな事にならなかったかもしれない・・・と、後悔の日々です。
時々、今が夢なのかも?と、思う事があります。でも、やっぱり現実なんですよね・・・。
上に娘がいますが障害があるので、息子の成長だけが私の楽しみで生きがいでした。
息子の部屋に入ると胸が苦しくなり、涙が出ます。
ほんとにほんとに辛くて、悲しい毎日です。

こんな私ですが、子供を亡くされたみなさんと悲しみを共有し、乗り越えて行けたらいいなと思いますので、よろしくお願いします。

MamaDuck (2009-12-1 9:58 )
しゅんや母さま

息子さんを亡くされてまだ2ヶ月経っておられないのですね。本当に胸がきりきりと痛む辛くて悲しい毎日を送っておられることでしょう。

私の息子は4年前に18歳で亡くなりました。アイスホッケーをしていて、とても元気な子でしたが、最後は棒のような手足になってしまい、膝の間に布団を挟んでやらないと骨が当たって痛いほどでした。
ティーンの男の子はみんなそうなのでしょうか、私の息子も母親に当たったり文句を言ったりしないで、じっと耐えて最後まで頑張ってくれました。優しいからなのか、カッコよくありたいと思ったからなのか・・

一休さんの歌にこういうのがあるそうです。
死にはせぬどこへも行かぬここに居るたずねはするなものは言わぬぞ
有名な「千の風」も私は傍にいるよという歌ですよね。
私は息子にしょっちゅう話しかけています。
しゅんや母さんの息子さんもきっと傍にいてくださいますよ。

泣きたいときは泣いて、休みたいときは休んで、お互いぼちぼちいきましょうね。

ダイアナ (2009-12-1 22:53 )
こんにちは
 
障害のお子さんを抱えて さらに亡くなった息子さんの闘病
お疲れ様でした。文字で淡々としてしまいますが、心からそう思います。

私の息子も何よりもスポーツが大好きでした それだけに体がどんどん麻痺していく姿を見ているのは 親としては地獄のようでした でも 息子はもっともっと辛かっただろう と考えると
自分自身どうしていいのか分からなくなります

自分の周りに そうそう私の様に子供を亡くした人はいないから
このサイトを借りて 気持ちを分かち合っていただいたり
自分以外にも 同じ様に子供を想い、苦しんでいらっしゃる方がいるんだと思い ついつい 投稿してしまいます
うまく返信できないけど 必ず見ています

しゅんや母 (2009-12-2 21:40 )
MamaDuckさま

ご返信ありがとうございます。

うちの息子も膝にクッションを挟んでいました。筋肉も脂肪も無くなったうえに膝に人工関節が入っていたので余計に痛かったと思います。
年頃だったので、抗がん剤の副作用で髪の毛、眉毛、まつ毛が抜けてしまった自分を見せたくなくて、闘病中は友達とはほとんど会いませんでした。
結局、退院することも出来ず亡くなった息子があまりにも可哀そうで・・・。
なんで、私の子供なの?なんで死んじゃったの?と心の中で叫び続け、そしてもう会えない、声も聞けないさびしさで涙が出ます。

一休さんの歌・・・涙が出ました。
息子は私の傍にいてくれるんですよね。
MamaDuckさんのように話しかけるのは涙が出てきて、まだ無理ですが、いつか自然にそう出来るようになればいいです。

これからもよろしくお願いします。

しゅんや母 (2009-12-2 22:23 )
ダイアナ様

ご返信ありがとうございます。

食欲が無くなってやせ細って行く息子を見るのはほんとに辛かったです。亡くなる1ヶ月前に呼吸不全になり、生死の堺をさ迷いました。血淡を吐き、寝ると苦しいので、座った状態で主人が後ろから支え眠っていました。もうろうとした意識の中で「家に帰る」と言って立ち上がろうとしたり・・・ほんとに地獄でした。

今は息子はその地獄から解放され天国ですが、私はまた違う意味の地獄のような毎日です。

みなさんの投稿を読んでると、こんなに辛く悲しいのは私ひとりだけではないんだと少し楽になりました。

私もこのサイトを借りて、気持ちを分かち合っていただき、ゆっくり悲しみを乗り越えて行ければいいなと思います。

これからもよろしくお願いします。

くるみ (2009-12-11 16:19 )
しゅんや母さま
はじめまして。くるみと申します。最近このサイトを知りました。しゅんや母さまの投稿欄を何度も何度も読み返しました。私も9月に子供をしゅんや母さまの子供さんと同じ病気で亡くしました。この病気の情報も少なく、私の住んでいる地域では大学病院でしか診れる医師がいませんでした。二年5ヶ月前の7月に突然の発病、病名宣告、術前化学療法、手術、術後化学療法も続けましたが、3度の肺転移、手術と頑張りました。しかしまた肺への転移。そのときは手術も化学療法も出来る状態ではありませんでした。それでも諦めることが出来ずに免疫療法も試しましたが。残念ながら効果はありませんでした。本当に残念でたまりません。もうすぐ3ヶ月が過ぎようとしていますが今返信をしているだけでも涙がでます。時が経てば経つほど悲しみが強くなります。この苦しみをどうやって癒せばよいのか解りません。同じ病気で闘ったしゅんや母さまとなら悲しみを語り合い、乗り越えられるかなと思い返信しました。
ようちゃん (2010-2-16 11:37 )
はじめまして。私も昨年11月に長男を亡くしました。
急性骨髄性白血病で次男、私からと二度の骨髄移植をしましたが治療の甲斐なく余命二ヶ月でこの世を去りました。
一年八ヶ月の闘病生活でした、何度も感染症にかかり、命をおとしかけましたが、奇跡的に回復し、家族も本人も直ると信じ頑張ってきましたがとうとう力尽きてしまいました。
とても優しい子で、大学病院で小さい子の世話をし皆を誘って院内学級へ行ったりボランティアの方を手伝ったりしていました。
「今時、珍しく優しい子」と皆さんに言われていましたが、結婚七年目に不妊治療のあげくにできた大事な長男でした。
「誰が私からあの子を奪ったの?」と気が狂いそうなほど辛い毎日で、今は引きこもり状態で泣いてばかりです。
周りの方からの励ましの言葉に傷つき、この思いは同じ子供を亡くした者じゃないと決してわかりませんよね。
くるみ (2010-2-16 17:37 )
ようちゃん様こんばんわ。
くるみと申します。昨年9月に14歳の娘を亡くしました。

ようちゃんママ様の息子さんと私の娘は同じ頃病気と闘っていたのですね。
ようちゃんママ様の苦しみ悲しみ少しは解ると思います。
娘は6年生の7月に発病しました。それまではとても元気な女の子でした。
本当に突然私たち家族に試練が訪れました。

辛い手術、治療頑張りました。でも中2の5月に余命宣告を受けました。

本人には最期まで本当のことは言えませんでした・・・・言えないですよね。治ると信じて辛い治療を頑張っているのに・・・

事実を隠し通すことの辛さ!経験した人でなければ解らないですよね。
「必ず治るよ!」と言い続けました。事実を隠すとは本当に辛いことでした。ココロが壊れそうでした。
でも娘は何かを感じていたのかもしれません・「お母さんがわたしの母親で良かったよ」と亡くなる1週間くらい前に言ってくれました。

大事な子供を看取るということは想像も出来ない苦しみです。
同じ境遇の人でなければ解り合えない気がします。色々な人から励ましの言葉を頂いても何かが違う気がして・・・

このサイトで私は随分救われました。やはり同じ境遇の人と話すとココロが落ち着きます。

辛くて悲しいけどゆっくり進んでいきましょう。くるみでした。

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