
初めて投稿させていただきます。
私の息子はこの8月13日に15歳で天国に旅立っていきました。
まだ1ヶ月を少し過ぎただけですが、この1ヶ月がとても長く感じました。息子と過ごした15年よりも長かった気がします。
去年の6月頃股関節の辺りが痛いと言い出し、部活(野球部でした)のせいかなっって軽く思っていて接骨院や整骨院などに通っていたのですが、痛みが強くなり整形外科へ行ったのです。
レントゲンもとり異常が見られなかったのでしばらく通っていたのですが、やはり痛みが増すと言うのでMRIをとったところ悪性腫瘍が見つかりました。
なぜあの時もっと早くに見つけてあげられなかったのかと今は本当に後悔ばかりで、もしあの時発見がもっと早ければ彼はまだ生きていたかもしれないのにと思うと胸が張り裂けそうになります。
今は毎日が苦痛で何をしても楽しくないし何を食べても美味しくなくて生きていく事が辛いです。
目が覚めるたびに去年の6月頃に戻っていたら…と毎日思います。
でもそんなことありえないですよね。
息子はとても明るくてポジティブで中学生とは思えないぐらい素直で家族を大切にしてくれる子でした。入院中も周りの看護師さんや私たちに気を使い辛くても辛いなんて一度も言いませんでした。
そして旅立つ直前まで全く弱音を吐かず生きる事をあきらめませんでした。そんな息子の母になれたこと本当に嬉しく感謝しています。
でももっと一緒にいたかった…
もっと話したかった…
別れたくなかったです。
この気持ちのまま過ごしていくのは本当に耐えられません。
ごっちゃんの母さんはじめまして。
ゆっきーといいます。
8月13日からまだ1ヶ月もたっていないのですね。
今は息子さんを思いながら静かに過ごされるのが1番だと思います。
無理せずにゆっくりと行きましょう。
息子さんは優しいお子さんだったんですね。
息子さんの強さ、優しさを見習っていきたいものですね。
私の息子は9歳でバーキットリンパ腫を発症し9ヶ月の闘病生活後
10歳でお空に行ってしまいました。
今年の12月で2年になります。
傍にいれば6年生。
楽しい学校生活を過ごせていたと思います。
私の息子も少年野球をやっていました。
そしてお兄ちゃんは中3です。
息子さんと同じ年でしょうか?
弟は小3で3人とも野球少年なんです。
ここでは同じ立場の方がたくさんいます。
一人ではないですよ。
どうかごんちゃん母さんも溜め込まずに
思いを吐き出せる場所にしてください。

はじめまして。
はちひめと申します。
5歳の娘を神経芽腫(悪性新生物)で亡くして2年以上経ちます。
娘の時も、最初足(股関節あたり)が痛いと言ったので、
習い事の新体操で開脚を頑張りすぎたせいだと思いました。
整形外科を2軒、お腹かもしれないと胃腸科、
小児特有の病気かもと小児科何軒も。夜救診も、休日診療も。
でも、誰も見つけてくれなくて、頼んでも検査もしてくれなくて、
やっと子ども病院に行ったときは、末期も末期でした。
(もっとも、痛いといった時点ですごく転移していましたから
結果は同じだったと思うようにしていますが・・)
他に小さい子どももいたので、新しい病院に行くのは大変で、
そのうち嫌になってきて、痛がる娘に当たりもしました。
思い出すと娘に申し訳なくて胸が苦しくなります。
5歳児は「死」を想像できないので、ただ隠すだけでしたが、
中学生のお子さんならいろいろわかるだけに
ご家族はお辛かったことでしょう。
1ヶ月ではまだなにかとお忙しいでしょうが、
どうかお身体を休められますように・・。


はじめまして。
ゆっきーさん、はちひめさん返信ありがとうございます。
ゆっきーさんは3人の男の子のお母さんなのですね。私にも天国に旅立った娘の下に小3の娘がいますが、私と息子は性格が似ていたようでとても気が合い本当に優しくいつまでも一緒にいたいと思う子供でしたのでその息子が側にいなくて悲しくて娘の事かまってあげられずにいます。大切な子供には違いないのですが、息子の存在が大きすぎて…だめですよね。
ゆっきーさんの息子さんと同級生だったのできっと野球好きの息子とは気が合っていたと思います。病気が見つかる少し前に野球部のキャプテンになりとても張り切っていたのにキャプテンとして活躍することも仲間たちともう一度野球をすることも叶わずに逝ってしまいました。
でもきっと空の上で思いっきり野球をしてるんでしょうね。
私ももう一度あの子の野球をしてる姿見たかったです。
はちひめさんの娘さんも息子と同じ症状だったのですね。
股関節の辺りが痛い事がそんな病気だとは気がつかず、もっと早くに検査をしてもらっていたら今も息子はここにいたかもしれないと後悔ばかりしています。はちひめさんは検査をお願いしてもしてもらえなかったって言うのはもっと辛いですよね。
息子は見つかった時点では転移が見つかっていなかったので絶対に治ると信じて戦ってきました。本人も私たちもそう思っていました。見つかった時点で極めて悪性度の強い腫瘍だとは聞いていましたが、絶対大丈夫だって…でも肺への転移が見つかり先生方には最悪のことを言われてましたがそれでも私は大丈夫だって信じていました。日に日に悪化していく息子の側で明日には良くなってる、薬が効いて楽になってるって毎日奇跡を信じていました。息子の最期まで諦めず(諦めたくなったのだと思います)、早く体力回復させないとってずっと言ってました。たぶん息子もある程度のことはわかっていたのだと思いますが、私たちには全くそんな素振りも見せず最後まで笑っていました。本当にすごい子でした。
でもやっぱりどうして、どうしてあの子だったのって思いが消えずにいます。
もっと一緒にいたかったから…
この先あの子のいない世界で過ごしていく事が辛すぎて…
でもここで頑張らないといけないんですよね。
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