骨肉腫で16歳の息子が永眠しました

子どもを亡くした天使のパパ はじめての投稿

テルパパ (2010-7-22 9:10 )
はじめまして。「あいらぶべーすぼーる」ことテルパパです。
7月12日に骨肉腫で16歳の息子が永眠しました。闘病1年7ヶ月でした。家内も私も最期に私たち家族にありがとうと、かすかな声で言いました。優しい気持ちのきれいな息子でした。通夜に約600人、告別式に約200人の友人たちが来てくれました。改めて息子の偉大さ人柄の良さ感じました。残された私たちは、虚脱感の塊と闘っています。アドバイスお願いします。
テルパパ (2010-7-23 9:07 )
おはようございます、なかなか不慣れで、このサイトに参加するのに手間がかかりました。私は、あいらぶべーすぼーるを投稿した父親です。7月12日に16歳の息子を骨肉腫で亡くしました。本当に気持ちの優しいきれいな息子でした。あいらぶべーすぼーるは、息子が少年野球から発病まで野球を愛し、頑張っていたから、このタイトルなのです。今日で11日が経ちましたが、皆さんが経験しているように、とてつもない虚脱感が私たち残された家族を支配しているかのようです。通夜、告別式を済ませ、したくもなかった喪主をし、有難い多くの参列者の皆さんに来て頂きました。しかし、息子はいません。あまりにも、大きすぎる息子の存在感を改めて痛感しています。発病してからも、息子は明るく前向きに病気と闘ってきました。6月のはじめまでは、元気に人工関節を入れた右足を巧みにあやつり頑張っていました。野球を断念し、小学生より習っていた書道を高校で部に入り、書道の甲子園を目指すと気持ち切り換え頑張っていました。胸が少し痛むと、この頃から言い出したので、昨年12月24日魔のクリスマスイブに肺への転移が見つかりましたので、私たちはすぐ、有明の病院へ行きct,レントゲンを検査しましたが、異状なしでしたが、そのわずか15日後に左肺の腫瘍が破裂しました。そして、7月12日午前7時30分永眠。亡くなる少し前に、血だらけの酸素マスクでかすかな声で、姉、家内、私家族に、ありがとう、と最期の言葉を言ってくれました。葬儀の参列者の多さは正に、この人柄桁違いの優しさからだと思います。すいません、まだ投稿するのは、少し早すぎたかも知れません。苦しくなってきました。どうぞ、残された私たちにアドバイスを宜しくお願いします。苦しくなりましたので、今日はこれで終わります。支離滅裂な文章で失礼しました。
YUTAの母 (2010-7-23 19:33 )
あいらぶべーすぼーるさま
名ばかり管理人のYUTAの母と申します。
パソコンを変えてから、うまくログインできず、ゲスト投稿です。すみません・・・

息子さんはとってもやさしくすてきな息子さんだったのですね・・
わたしのムスコも4年前の2月5日に3歳7ヶ月で小児がんの悪性リンパ腫でお空の住人になりました。
そしてお空に行く前の日にわたしたちに「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」と言ってくれました。
あいらぶべーすぼーるさまの息子さまと同じだなあ。。。と思い、思わずお返事をしてしまいました。

どうぞ今はゆっくりとご家族で息子さんの思いを感じてゆっくりとお過ごしください。
お父様は、お仕事があってなかなかゆっくりと出来ないと思いますが、週末などお休みの日はどうぞ心と体をお休みさせてくださいね。

このサイトが少しでもあいらぶべーすぼーるさまに、気持ちを緩めることができる場所であることを、管理人として願っております。

投稿ありがとうございました。

しゅんや母 (2010-7-23 20:49 )
ゲストさん、はじめまして。
しゅんや母と申します。
私の息子も骨肉腫で、16才になったばかりの昨年10月22日に亡くなりました。
闘病生活1年3ヵ月で術後抗がん剤治療中に肺転移がわかり、余命宣告になりました。私の息子もゲストさんの息子さんと同様に野球を頑張っていました。病気が分かったのは2年前の中学3年の今頃でした。中3で野球の最後の試合となる郡大会では、骨折したらいけないと出場出来ず、応援に回りました。
どうせ亡くなるのだったら、たとえ死期が早まっても抗がん剤や手術なんて言う痛くて、辛くて、苦しくて・・・そんな思いをさせなければよかったといつも後悔しています。
最期の大会、骨折しても出させてあげればよかったと思います。

野球で鍛えた筋肉質な体がみるみる細くなり、ほんとに可愛そうでした。人工関節の入った足は重く、横に寝てる時はいつも座布団を膝の間に挟んでいました。
火葬され、焼け残った人工関節を見た時は、こんなに大きい物が入ってたんだと驚きました。
通夜には、ほんとにたくさんの生徒が来てくれて、先生から「峻矢の人柄ですね」と言われました。とても優しく、おもしろい子でした。
野球をやらなければこんな病気にならなかったのか?
先に足を切断していれば、肺に転移しなかったのか?
高校、大学とこれから青春を謳歌するはずだったのに、なんでこんなむごたらしい病気で亡くなったのか?
今でもいろんな事を後悔する日々です。

昨日で9回目の月命日を迎えました。
毎月の命日には仲が良かった5人の友達が忘れずにお参りに来てくれます。
成長して行く友達を見るのは辛い事でもありますが、やはり忘れずに来てくれるのは嬉しいものです。
でもその子達を見ると思います。
「生きる」なんて、当たり前の事がどうしてできなかったのか?と。

亡くなった頃は、毎日が苦しくて、悲しくて・・・どうにかなりそうな頭と心でした。
野球のユニフォームを着て歩いている生徒を見ると涙が出たり、息子がよく来ていた曲が流れれば涙が出たり・・・。すぐに涙が出ました。
でも、今は静かに悲しい、苦しいって言う感じです。上手く言葉では言い表せませんが・・・。
涙も我慢出来るようになりました。

テルパパさんの心情はよくわかります。
今はほんとに悲しくて、苦しくて、辛くて、これからどうやって生きていけばいいのだろうと思っている事と思います。
アドバイスなどではありませんが、やはり時間が少しずつ心を落ち着かせてくれるのではないのかなと思います。
悲しみの深さは変わらず、時々どうしようもなく苦しい時もあり、毎日いろんな事を思い、心は葛藤していますが、これからこんな風に生きて行くのだと思います。
子供を亡くした気持ちは同じ経験をした人でないとわからないと思うので、ゲストさんもいつでもこちらに吐きだして下さい。
生きられなかった息子達の為にも、生きて行きましょう!!
「頑張りましょう」とは言いません。
生きているだけで頑張っているのですから。

テルパパ (2010-7-24 17:29 )
しゅんやママ、励ましの貴重な辛い経験をお話し戴きありがとうございました。あまりにも酷似しているため、驚いています。息子が永眠して、今日で12日が経ちました。確かに、ご指摘のように時間が残された私たちに、何らかの良いものを与えてくれるのかと、少し期待をしていましたが、またぶり返し的な気持ちの変化に家内と戸惑っています。昨日、有明の病院に支払いとナースステーションに挨拶に行ってきました。もう二度と行くことのない有明の病院を後にして悔しい思いが甦ってきました。息子は病気に負けていない、最後まで諦めず、前向きに闘っていました。12日午前4時30分から午前7時30分まで血だらけになった酸素マスクでの壮絶な姿を私たちは忘れることができません。医学が負けたのだ、息子は負けていない。今日、息子が通っていた藤沢の高校に挨拶に行ってきました。わずか35日の高校生活でしたが、クラス全員が通夜、告別式にきてくれたのには、感動し泣いてしまいました。骨肉腫という病気と闘っていると説明すると、どこの高校も逃げ腰でした。そんな中で、この高校は前例もありますし、本人の意欲を重視しますと言ってくれた唯一の高校でした。しかも、校長自ら意欲的でした、今日も校長がお茶を入れてくれる人間味溢れる校長です。また、担任の先生も正に心温かな教育者です。あまりに短い高校生活でしたが、闘病しながらの非常に中身の濃いものだったと思います。しゅんやくんも、素晴らしい息子さんだったんですね、なぜ本当に天使のような心の持ち主ばかり召されてしまうのか納得いきません。今日は家内は特に、気持ちのコントロールが出来ないみたいです。私もため息ばかりです、来週火曜日から、職場復帰しますがとても不安です。6月23日から7月12日まで勤務先に全て話し病院の泊まり込んでいました。話すことも、あまり出来ませんでしたが20日間は一緒に居られました。このぶり返す、哀しさ、苦しさは今もどうすることが、出来ません。しゅんやママも心身ご自愛下さい、私たちも息子の頑張りを無駄にしないよう努めるように時間がかかりそうですが、家内、娘と励みます。娘が、息子が逝ってから変わりました。ムードメーカーだった弟の代わりをするかのように、懸命に明るくしてくれています。姉が大好きだった弟を亡くして一番辛いには、娘かもしれません。それほど、息子はねえちゃん大好きでしたから。
テルパパ (2010-7-24 17:42 )
YUTAの母様、貴重なお話ありがとうございます。3歳7ヶ月、一番可愛い時に、言葉がありません。私の息子が逝ってまだ、今日で12日しか経っていません。今、ぶり返しの悲しみ、苦しさに苛まされています。家内が今日は辛そうです。
あいらぶべーすぼーる (2010-7-25 1:27 )
息子の携帯のメルアドがあいらぶべーすぼーるでした。骨肉腫発病は中学2年の時でした。少年野球からずっと野球を愛してきました。打撃はいまいちでしたが、名三塁手でした。中学でやっとレギュラーを勝ち取った矢先の発病でした。最初、成長痛かと思い、なかなか病院に行きませんでした。右ひざでした、激痛が走り慌てて行きつけの、スポーツ整形へ行くと本人の手前、疲労骨折と言いましたが、実はすでに骨肉腫の疑いがあり、MRIを撮るまでにごしていた次第です。早速有明の癌専門病院を紹介されました。お決まりの抗がん剤、手術、抗がん剤の繰り返しでした。吐き気、脱毛など中学生には辛い毎日でした。息子は、大きな病気も入院もしたことがありませんでした。学校の勉強は苦手ですが、元気印の代表で、争いを嫌い、誰とでも仲良く出きる息子でした。常に明るく前向きの息子でした。人工関節の手術をして、野球を諦めなければならなくなり、一筋の涙を流しました。少年野球チームに入るまで親に内緒で練習をしていて、入団を許すと泣いて喜んだ位でした。中学2年での発病は高校受験に大きく影響しましたが、持ち前の頑張りでなんとか病気に理解ある高校に合格することが出来ました。野球で果たせなかった甲子園を書道で頑張ると、書道部に入り頑張っていました。今日、お世話になった高校に挨拶とお礼に行って来ました。通夜、告別式にわずか35日しか通学していないのクラス全員で来てくれました。16歳の息子に通夜に約600人、告別式に約200人が来てくれました。しかも、女子も多く来てくれました、遠方からも多数来てくれました。息子は、誰にも優しく心根のきれいな子でした、16ですが心は小学生みたいだとよく、姉に言われていました。だから、多くの友だちが来てくれたのでしょう。親として驚いてしまいました、しかも皆、号泣してくれいます。改めて息子の人望に驚きました。喪主なんて、やりたくありませんでした。息子は我が家でも最高のムードメーカーでした。いつも、皆を笑わせるのが大好きで、無邪気な性格で邪心のない、こどもこどもした息子でした、いつもの抗がん剤治療なら、看護師さんの人気者でもあり、病棟でもいつも明るい笑い声が絶えませんでした。しかい、今回の緊急入院はいつもとだいぶ違っていました。肺の腫瘍が破裂して、すぐにドレーンチューブを入れられ、呼吸が苦しい毎日でした。仰向けに寝ることが出来ず、うつぶせになりながら、なんとか寝るのですが、肩胸が痛くて寝れないのです。私は主治医より6月23日に、抗がん剤も手術も出来ない、放射線も出来るか判らない、また放射線が出来ても延命に過ぎないと言われました。私は勤務先の全てを話し、病院の泊まりこみ始めました。日々弱っていく息子を家内と見守るには、想像以上にきつく、それでもふたり奇跡を信じました。15回の放射線治療計画となり、私たちは一縷の希望を持ちました。諦めない、プラス思考で毎日を過ごしました。放射線が効くことを信じていました。知識ある人から見れば、愚かなことと笑われるかもそれませんが、奇跡を信じていました。しかし、放射線治療は効いてくれませんでした。腫瘍の勢いを止めることすら出来ませんでした。主治医が、お父さんと時々、私を病室の外に呼び、話すのは状態の悪くなる度具体的に絶望的説明でした。家内に話すと、取り乱すからです。私も、取り乱したい衝動にかられましたが、堪えるしかありません。レントゲン写真はすでに、左肺から右肺までも白くなっていました。7月12日午前4時30分急変、酸素マスクをしても呼吸が苦しくなりました、慌ただしく看護師さんたちが動きます。なかなか医師が来ません。看護師さんがお姉さんを呼んだ方が良いですよと、いいました。小一時間ほどして娘が到着、大好きな姉が来て、血だらけの酸素マスクでガッツポーズを一瞬し、懸命に頑張る息子、まだ医師は来ません、看護師さんたちが席を外し、家内、娘、私の家族だけになった時、消えるようなかすかな小さな声で、ありがとうと血だらけの鬼のような形相で言ってくれました。モルヒネで眠い苦しい意識の中で
カッと目を見開き私たちに最期の言葉を話してくれました。その顔は、いつもの可愛い息子の優しい顔ではありませんでしたが、私は一生忘れることが出来ません。不思議なこちに、家内と娘はその顔が薄れてきていると言います。平成22年7月12日午前7時30分息子16歳永眠しました。今日で13日経ちました、息子は病気に負けたんじゃない、最期まで諦めず闘っていました。負けたのは、今の医学が骨肉腫に負けたんだと思います。
ファイン (2010-7-25 20:46 )
こんばんは。はじめましてファインと申します。息子さんの壮絶な闘いが、文字に現れており、胸が痛くなりました・・御家族の思い本当に、おつらいことと思います。今日という日を生きていく、それが大変なことですね。素晴らしい息子さんのご冥福、心からお祈りいたします。息子さんの前向きに生き抜いた人生、頑張り抜いた人生、誇りですね・・うちの息子と重なってしまいました・・1年7か月前の12月11日に脳腫瘍で15歳と11か月で天使になりました。我が家の誇りです。愛を教えてくれました。本当の強さを教えてくれました。生を教えてくれました。彼が教えてくれたことに応える為に生きてます。下の息子に応える為にも今を生きています。全て終わりではなく始まりだと思いました。前向き発言をしてますがいつも改めて自分に言い聞かせています。お父様、ゆっくりゆっくりです。いつもいつでも息子さんを思い、虚脱感あって当たり前です・・こんな悲しい現実は他にないのですから・・・会社復帰も大変なことです。お身体お大事にしてください。お気持ちも・・・私も、急に固まることあります、どうしよう、って。怖くなったり逝った彼の心配したり・・親ですもの・・息子達の親だから思いは続くのですね。息子達に出会えた感謝と申し訳なさの繰り返しです。すいません、私ごとばかりで。ここは特別な場所です。気持ちを吐き出しながら歩きましょう・・ゆっくりと・・・ありがとうございます。 
あいらぶべー (2010-7-27 23:00 )
ファイン様投稿ありがとうございます。1年7ヶ月という数字に偶然に何か不思議なものを感じました。私の息子が骨肉腫を発病したのが、偶然にも1年7ヶ月前でした。私の息子が骨肉腫発病した時期に、ファイン様の息子さんが永眠されたのですね。深く、哀悼の意を表します。息子さんの皆さんに愛を教えてくれたこと、同じ思いがしました。ファイン様の息子さんも、貴重なお話の中に、素晴らしい息子さんであったことが感じられます。脳腫瘍というあまりに、苛酷な病気になられ、16になる目前に永眠された哀しさは、親としてあまりに、つらいものだったと思います。ファイン様、私は息子の病院に泊り込んで、通夜、告別式を迎え約1ヶ月ぶりに職場復帰を今日しました。息子が逝ってからまだ15日しか経っていません。通夜、告別式の様子から私が職場復帰は難しいと、診ていた人たちがいました。それは、参列者の多くが号泣していたこと、家内の取り乱し方が尋常ではなかったからです。ご経験がおありのことと思いますが、最後のお別れの時、私たち親族、そして友人たちの取り乱し方は尋常では、ありませんでした。家内はまともに立っていりことが出来ず、皆で支えました。私の親友がポツリ言いました、お前もつらいだろうが、奥さんはもっとつらいと。親友の奥さんが言ったものらしい。父親の哀しみと母親の哀しみは違う、上手く表現出来ませんが、確かにそれは感じます。今日、職場復帰初日でした、まるでリハビリのようでした。しかし、もう家に帰っても息子はいないという現実を受け入れない自分がいます。最期まで諦めず、病気に立ち向かった息子に恥じないよう努めました。しかい、仕事を終え、ひとり車を運転しながら帰路、涙が溢れ流れてきました、息子の名前をただひたすら呼ぶ自分がいました。前途多難な職場復帰初日でした。ファイン様、本当にかけがえのない哀しい素晴らしい息子さんのお話をありがとうございました。息子さんが旅立たれた時に、うちの息子が発病とは、あまりに奇遇哀しすぎますね。ファイン様、暑さ厳しい日が続きます、お身体ご自愛下さい。あいらぶべーすぼーるの54歳父。
あいらぶ (2010-7-29 23:26 )
今晩は、職場復帰して、今日で3日目になりました。仕事中は、気丈を装いますが、帰り道、ひとり車に乗り、誰も見ていないと、溢れる涙はどうすることも出来ません。ただ思い切り泣くしか出来ません。悔しさでいっぱいです。息子の存在のあまりの大きさを改めて痛感する毎日です。骨肉腫で完治した話を知りたいです、匿名でもちろん構いませんので、お教え戴きたいです、今の年齢、病院名までで、構いません。私は皆無です。生存年数を教えて下さい。そして、治療内容を知りたいです。また、現在骨肉腫で闘病中のお子さんのご両親、ご意見お待ちしておろます。嘘偽りのない経験談お話致します。真実のみ吐き出します。
ファイン (2010-7-30 22:43 )
ありがとうございます。そしてお仕事復帰、本当にお疲れ様でした。頑張られましたね。息子さん、ちゃんと見ておられます。「ありがとう」の繰り返しでしょう息子さん。本当に、お優しい息子さん・・・誇りですね。どうか、お車の運転お気をつけて下さい。でも車の中って一人になった時って特別ですね・・思いが噴出してくる。いっぱい気持ち溢れてくる。悲しみは終わらない。どうぞお気をつけて下さい。そうですね、父親と母親は違うかもです・・お腹に子供を授かり育て産んだ強みがあるのかもしれません。子供も叱られても、お母さんは絶対に許してくれると思ってるようです。お父さんの立場は大変です。あいらぶべーすぼーるさんは、すごく頑張っておられます。息子さんの大好きな尊敬するお父様なんでしょうね。だから息子さんも素晴らしい・・悲しい、悔しい、やりきれない・・ですね。神様がこんなにも早く迎えに来るなんて・・・・でも会える、きっと会える日がくる・・笑顔で「お父さん、頑張ったね!!」と息子さんが来てくれます。そう信じてます。我が家は、いつでもどんな時でも、息子が「母さんじゃなきゃ」と付添も主人と交代することを嫌がり、私もそれに応えてきました。苦しい時こそ笑顔でと。なかなか難しいことであり理屈は分かっていても心は理解できないのが人間です。顔は菩薩でも心は般若・・顔は般若でも心は菩薩と。ごめんなさい、最期のお別れのシーンの、お話で苦しくなりました。叫んでも叫んでも起きてくれない息子さん・・・子供を送らなきゃならないつらさ・・分かります、今も全てがよみがえる。我が家は、お父さんと下の子、あなたが気をつけてあげてと、頼むねと言われました。主人は闘病中もいつも逃げ腰・・医者の話も怖くて聞けないと・・気持ちは分からなくもないけれど、息子がこんなに頑張っているのだからと言っても駄目でした。なんでだろうと今も思います。面倒なことは嫌、つらい思いはしたくない見たくないと・・すいません。嫌な気分にさせてしまいました。ごめんなさい。お父様、眠れていますか?
暑い日が続きます、どうぞお気をつけて下さい。病名も違いますが
また宜しくお願いします。今日もお疲れ様でした。
さんきゅうべーすぼーる (2010-7-31 0:19 )
ファイン様、滲み出るような大切な体験談ありがとうございます。どうぞ、ご主人様を責めないで下さい。普通そのような行動に人は出ると思います。私は、昔から体育会系で約20年筋トレを継続してきた変わり者です。苦しい、つらい時あえて立ち向かう愚かな性格の持ち主です。息子が16で骨肉腫で永眠した時も、あえて皆さんの体験談を読みました。そして、自分の息子の最期が妥当であったのか確認したい衝動に駆られました。しかし、大切な息子を奪われた憎しみは、何処絵へぶつけたらいいか、判らず、未だ苦悩しています。職場復帰して、今日で4日目です。息子の生き様に恥じないように努めるだけです。ファイン様、つらいと思います。しかし、一番大切なことは
私たちの子どもが、永眠しなければ、何を望んでいたかと言うことでは、ないでしようか。私も、正直つらくて仕方ありません。仕事中は気丈を装い。息子の生き様に恥じないよう努めるしかないのではないでしようか。このつらさは、無期限です。追伸息子のメルアドは、さんきゅうべーすぼーるの誤りでした。私が思うに、あいらぶべーすぼーるとさんきゅうべーすぼーるは思いがかなり異なると思い、訂正したいち思います。ファイン様、暑い日がまだまだです。お身体ご自愛下さい。
さんきゅうべーすぼーる (2010-7-31 9:38 )
おはようございます、朝から失礼します。私が勘違いしていました、息子のメルアドはさんきゅうべーすーぼーるでした。永眠する数日前から
肺の腫瘍が大きくなり、心臓を圧迫し、息が苦しいので、少しの物を食べるのもやっとでした。当然、そんな息子を見ていて、私たちも食欲などあるはずがありません。毎日、家内と私がまともに食べていないのを、息子は気にしていたんですね。ある時から、テイクアウトでいろいろ私たちに頼むようになり、少しでも食べれればと病院周辺を買いに行きました。焼き鳥、ホカホカ弁当、カレー、中華など買いました。メニューを見ながら苦しさの中で、いろいろ頼みました。でも、息子が食べるのは、ほんの一口なんです。まんまと息子の作戦にはまりました。息子は私たちを、食べさせるためにテイクアウトしたんです。全てが、こんな感じの優しさを持った正に私たちには天使でした。骨肉腫で亡くなり、今日で19日目です。私たちは骨肉腫が憎くて、憎くて仕方ありません。今は、息子の生き様に恥じないように努めるように、励んではいますが、かなり難しいのが現実です。職場復帰4日、前途多難です。家内をひとりにするのが辛そうで、とても心配ですが、家内の友だちが日替わりで来てくれています。本当に有難いことです。息子を亡くした私たちを周りの皆さんの温かな励ましは、何よりです。
ファイン (2010-8-4 19:58 )
さんきゅーべーすぼーる様、こんばんは。今日もお疲れ様です。最近、超パテていて・・くたくたです。社内は朝から32度あり湿度も高いです。でも頑張る力を息子から頂いてるから頑張れる。本当に彼の苦しみに比べたら・・・です。ありがとうございます。やはり心のどこかで主人を責めていたようで・・駄目ですね。感謝をもっていないとです。反省です。
息子さん、すごいですね。苦しみの中でいろいろなことが見えていたのでしょう、エンドレスに御自慢の息子さんですね。そうですね、決して病に負けたのではありません。うちの息子も、最期の顔は誇らしげで穏やかで・・イケメンでした。病を体内で命と共に燃焼させたかのように・・「母さん、本当の強さって優しさのことだよ、愛だよ、愛。相手を許せることだよ。」よく言ってました。今もその声その笑顔が思いが宝です。息子さん、御家族の思いを感じてますね。本当に素晴らしい息子さん。ずーっと大切な子供。親でいられる感謝と悔しさと・・・そうですね、彼らに応える為に恥じないようにと、ゆっくりゆっくりです。お疲れ様です、休める時には休んでください。ありがとうございます。
さんきゅうべーすぼーる (2010-8-6 23:29 )
ファイン様、お元気ですか、今日も家内と呑みながら、号泣です。私と家内は、息子が骨肉腫になってから願掛けで禁酒を始めました。しかし、息子が永眠して箍が外れたようにアルコールを始めてしまいました。アルコールだけではなく、全ての拘りが、変わりつつあります。変わらないのは息子に対する私たちの愛情だと思います。
さんきゅうべーすぼーる (2010-8-7 9:58 )
お早うございます、昨夜誤作動を起こし同じ投稿を6回も送信してしまいました。申し訳ありません。削除して下さい。管理人様、お手数をお掛けします。息子の最期まで諦めない前向きな精神、深い広い優しさを命懸けで私たちに教えてくれましたが、息子の存在は改めてあまりに大きすぎます。
さんきゅうべーすぼーる (2010-8-7 11:04 )
かけがえのない子供を私たちは失いました。その哀しみは、計り知ることの出来ないもので、ともすれば虚脱感の塊と化してしまいます。実際、職場復帰するまで自宅でそうでした。しかし、残された私たちがしっかり子供の分まで懸命に生きなければ申し訳がたたないし、情けない生き方を継続していたら、向こうの世界で完璧に、息子に会えないし、辿り着く所が違いすぎるように思います。私も実は、悲しみに打ちのめされた時、どうすることの出来ない、自分の不甲斐無さを自ら見て、このままでは向こうの世界で息子に会えないし、もし会えても、誰ですか、と言われそうな気がしてなりません。なぜなら、私たちの子供は最期まで諦めず、前向きに骨肉腫に立ち向かい、負けていませんでした。負けたのは、現代医学です。現代医療です。私たち親に、優しさを振りまき、生きることの大切さを命懸けで教えてくれたんですから。短い生涯の中で、普通のひとが一生涯かかるものを、息子はもう会得してしまったんでしょうか。哀しいです、だから残された私たちはつらく哀しくとも、歯をくいしばって、一生死ぬまでこの尊い哀しみを背負いながら、生きていかなければならないのでしょう。もっともっと生きたかった子供の分まで、生きなくてはならないでしょうね。つらく、哀しい事には変わりはありませんが、気持ちを変えようと努めてみます。
テルパパ (2010-8-7 18:36 )
ファイン様、お疲れ様です。息子が天国へ旅立って26日が経ちました。私が職場復帰して、9日です。職場では、気丈に振舞いますが、ひとりになると、相変わらず泣きます。通勤で使うマイカーには、息子がUFOキャッチャーでゲットした物が至る所に飾ってあります。7月12日に逝った日に、病院から自宅へ寝台車の後を行くのに、涙で前が見えず、すぐ走れませんでした。それだけ、車内は息子の思い出がいっぱいなんです。思い出、この言葉はつらいです。今までに夢を4回見ました、ファイン様が言うように確かに、母親と父親では、息子が亡くなった時の受け取り方が、違うかもしれません。息子は、私と家内の役割を上手く分類していました。細かな仕事は家内、力仕事は私でした。でも、息子は誰よりも家族を知り尽くしていたのかも、しれません。息子は、家族で一番明るく元気で、笑い声も大きくて、いつも息子が家を明るくしてくれていました。でも、息子が逝ってから娘が変わりました。私たちを、元気ずけようと、頑張ってくれています。さすが、息子が大好きな姉ちゃんです。ファイン様、私たちはあまりに尊い哀しみですが、一生背負い生きていかなければ、ならないんですね。そして、その苦しさが判るのは、子供を亡くした私たちだけです。メールありがとうございます。また、宜しくお願いします。お身体ご自愛下さい。
ファイン (2010-8-9 20:46 )
こんばんは。ありがとうございます、お陰様で元気です。私も本当に病気が憎いっ!!!!!悔しいっ!!!!!ドラえもんがいたら「もしもボックス」で病気や障害の無い世界を!!と、よく言ってました。そのとおり!!あり得ないことが起きて、自分の命よりも大切な子供を失ったのだから・・・やりきれんです。私も願掛けで、お酒を絶ちました。去年の初盆が終わって5年ぶりに呑みました。呑んでも癒されなかったなぁ・・・ビールをコップ一杯、酔いました・・呑まないと弱くなるんですね。
娘さん、ムードメーカーの弟さんの分まで家の中を明るくしようと頑張っていますね。素晴らしい娘さん。弟さんに心配かけないようにと・・娘さん、一人でいるときっと悲しみがこみ上げて苦しいでしょうに・・我が家でも、下の息子が明るく、いつも友達が遊びにきていて、賑やかです。兄ちゃんが逝ってからいつも友達が彼のそばにいてくれます。ありがたいことです。じゃなきゃ寂しくてどうかなっていたかもしれません。お兄ちゃんっ子で・・
はぁー・・せつない、終わらない悲しみ。でもでも息子に心配かけたくない、逝った彼の足をひっぱることだけはしたくない・・
矛盾の繰り返しです。こんな良い子達に巡り合えた私は、本当はすごく幸せなんだと思います、が、こんなに早く神様が返してと連れて行ってしまった、と、嘆く思いもありです。
今、お盆休みですか??私は休みです。もうじき息子さん月命日ですね・・遠くから、お祈りいたします。日ばかり飛ぶように過ぎていきます。心がついていかないですね。お身体お大事にしてください。筋トレも、いいですね。体を使うとそれに夢中に一時でもなれていいですよね。私は結構、自分を追い詰め、落とし、這い上がっていくほうで。こうなったら、どうしようとか、良いこと考えていて同時に悪い結果も考えておくとかそういう保険をかけないです。
奥様ともども、お大事にしてください。けなげに頑張っていらっしゃる娘さんも、お大事にしてください。
テルパパ (2010-8-9 22:37 )
ファイン様、お便りありがとうございます。月命日まで覚えて戴けて嬉しく思います。ファイン様もご経験がおありと思いますが、仕事復帰は、事実上大変なことですね。特に、私の場合、外へ出る仕事のため、息子との思い出の場所に行くと、こみ上げてくる哀しみに負けそうになります。しかし、仕事中ですから、必死に堪えようと頑張ります。すると、ものすごい胃痛に襲われます。行き帰りの車の中では、相変らず泣いています。残された家族は、つらさをどこへ向けていいか、判らず困惑しています。生まれて初めて、胃痛を経験しました。子供を亡くす、奪われることが、これほどとは思いませんでした。ファイン様、私たちは死ぬまでこの気持ちで、生きていかなければならないのですね。今はとにかく、息子に会いたいという、気持ちが強くなりました。ファイン様、心の痛手もありながら、32度という高温での仕事、どうぞお身体ご自愛下さい。本当にお便りありがとうございます。昨日今日と息子への思いが強く、自己コントロールが難しくなっています。私は、ぶり返す哀しみと呼んでいます。
ファイン (2010-8-11 20:18 )
こんばんは。ありがとうございます。思い出があるから幸せと言われたことが多々ありますが・・息子がここに居ないことを実感し、つらい。よく分かります。一緒に歩いた場所、楽しんだ場所、一緒に見た風景、一緒に感じた季節の風、今、どこにいるの??と問いかけながら胸が、鼓動がバクバクして苦しくなります。テルパパさんの、胃痛も心配ですが、胃痛は分かります。私の胃痛は潰れるかのように息苦しい胃痛で・・・仕事中もあります。忙しい最中に、ふっと息子が浮かび、急激に胃痛がきます。息子の痛みは、こんなもんじゃなかったと、ゆっくり呼吸を整えしのぎます。本当に人は頭の中では理解出来ても、心は違う・・思いが頭の中とは違う。だから消化不良おこしたり胃痛につながるのだと思います。頭と心が、かみ合わない。世間や社会や時の流れの早さに戸惑いながらマイペースに歩んでいます。
。昨夜は呑みすぎました・・酔いの心地よさの中で息子に会いたくてたまらなくなり、握った手の感触を必死で思いました。せつないですね・・・
お身体お大事にしてください。暑いのでお気をつけてください。
テルパパ (2010-8-11 23:15 )
ファイン様、お疲れ様です、そして今晩は。いつもありがとうございます。今日は21時まで仕事でしたが、息子の亡くなった病院の近くを走りました。いつも面会に行っていた首都高速のコースを仕事で走りました。ファイン様が言うように、胃痛がひどくなり胸がバクバクしてきました。明日も21時位まで仕事の予定です。月命日ですが、仕方ありません、無理を言って1ヶ月休みましたから、これ以上我が儘は、言えません。今は、ぶり返す哀しみの深さと大きさに苛まされています。食欲は減り、アルコールが増えています。今日、家内の友人の知り合いで、霊感の強いひとに息子を視てもらいました。これから、話を聞くところです。後日、お知らせします。ファイン様お身体ご自愛下さい。
テルパパ (2010-8-13 0:15 )
皆さん、お疲れ様です。今日、息子の初めての月命日でした。哀しみは。何ら変わりませんが、確かに時間は経過しているのですね。天使になった子供たちのサイトを知り、自分の心の苦しみを、どうにかしたくて投稿を始めました。皆さんの温かい励まし、とても有難く思います。月命日を迎え、改めて息子の偉大さ、多くの人々に愛されていたことを、知りました。子が親より、先に逝くことの哀しみは、確かに経験した者しか、判らないと思います。今日も、仕事で息子との思い出の地を、仕方なく走りました。昨日今日と連続で経験するのは、あまりにきつく精神的にかなり、苦痛です。本来なら、子は親より長く生きます。私たちは、残念ながら哀しい例外です。あり得ないことです、家族の一人が居なくなってしまうのです。しかも、あまりに若い年齢で。プライベートメッセージをくれたM様、この場をお借りしてお礼申し上げます。何か、プライベートメッセージをまだ、する気になりません。ご容赦下さい、辛さに負けたくありません。またの機会に、失礼します。
テルパパ (2010-8-14 8:08 )
おはようございます。皆さん、如何お過ごしですか。月命日が来ました、哀しみは何も変わりません。毎日、行き帰りの車の中で、号泣しています。頭と心が大変異なります。仕事は、内勤ではないので、毎日車で走るので、息子との思い出の場所を、どうしても走ることがあり、きついですね。仕事ですから、平静を装いますが、胃痛がひどいです。何を言っても、息子がいなくなってしまった現実は、どうしようもありませんね。このぶり返す哀しみは、倍化を重ねています。皆さん、この気持ちと生きているんですね。また、胃痛がひどくなりました、失礼します。
ダイアナ (2010-8-14 9:15 )
テルパパ様、

初めまして。私は脳腫瘍で13歳の息子をなくしました。
毎日大人気なく どうにかして戻せないのかと
考えてしまう日々です 私も突然いろいろな場面を思い出し
同じく車で泣いてしまう事も多いです。
仕事ではその場所を避けられませんものね。私も息子の亡くなった病棟に仕事で行かなければならず 涙をこらえるのが大変でした。

どうかなりそうな時は息子が別の世界で楽しく走り回っている姿を想像します。意識的に気持ちを切り替える様にしています。
考え出すと行き着くところまで 考えてしまい 余計に悲しくなるんです。彼のそばに早く行きたいって・・

お体大事になさって下さいね。

テルパパ (2010-8-14 10:27 )
はじめましてダイアナ様、13歳ですか、うちよりも短い生涯だったんですね。つらいお気持ちの中、メールありがとうございます。うまい言葉が見つかりません。残された家族、父母、兄弟姉妹、それぞれ去来するものが、違います。私は、主治医から手の施しようがないと、言われ病院に泊り込みました。最期までついていられましたが、最期の凄まじい苦しみはその顔は、脳裏に焼き付いています。弱いですね、最期まで看取ると覚悟をして泊り込んだはずが、情けないこの有様です。息子が骨肉腫発病当初、自筆で逆境に勝つと書きました。その実物は、息子が自分で捨ててしまいましたが、たまたま私の、携帯のカメラで撮影していました。今、思えばこの言葉は、残された私たち家族への言葉だったのかもしれません。ダイアナ様、ありがとうございました。13歳誰がなんと言おうが、あまりに短すぎますね。合掌。
ファイン (2010-8-17 19:02 )
こんばんは。今日もお疲れ様です。毎日毎日同じ日は、ないですね。同じことは、息子がいないこと・・尽きぬ悲しみ、のり超える問題ではない思い、愛しさでいっぱいの心。テルパパさん、大丈夫ですか?と、聞くことではないかもしれませんが、ごめんなさい、御無理が大変あるかと思います。お仕事での外勤・・息子さんとの思い出の場所・・悲しみに飲込まれそうになりますよね・・本当によく頑張ってらしてます。少しでも食事なさってください。御両親の為にテイクアウトを頼んだ、優しい息子さんの為にも。
明るく頑張ってる娘さんの為にも。
ごめんなさい。心配になりました。暑い日が続いてるので・・今日35度ありましたT_T。。どうぞ、お気をつけてください。お疲れ様でした。
テルパパ (2010-8-28 9:35 )
ファイン様、いつもありがとうございます。明日、息子の四十九日の法要です。職場復帰してひと月が経ちました。息子との思い出の場所は、相変わらず度々通ります。平静を、装い仕事をしては、いますがかなり、つらいですね。あらためて、息子の存在は宇宙的規模だと、確信しました。発病当初、息子が自筆で、逆境に勝つ、と書きました。今にして、思えば、それは残された私たち家族宛だったのかもしれません。まだまだ、暑い日が繰り返されます、ファイン様、お身体ご自愛下さい。
テルパパ (2011-1-15 17:06 )
お久しぶりです、皆さん如何お過ごしですか。187日、息子を骨肉腫に奪われてからの日数です。毎日が、苦しい、悲しい、きついの三拍子です。時間の経過は、何ら私の心の苦しさを緩和することは、まるで無く、日増しに心身は病んでいくのが、実感されています。しかし、最期まで諦めることなく、前向きに闘った息子に、恥じることが、ないように生きています。残された家内と娘のためにも、歯をくいしばって一日一日を生きています。「愛する者を目の前で亡くした者は絶望しか残らない」ある書物の言葉です。また「かけがえのない大切な者を、失っても生きなければならない」と先日観たテレビドラマの台詞にありました。息子を亡くしてから、病気に関わるテレビは観なくなりました。息子との思い出につながる場所は、鼓動が相変わらず苦しくなります。経験者の親の皆さんが同じ症状を呈しますね。息子を亡くしてから、無気力、無感動の傾向にあります。しかし、無責任にはなれません。今もパソコンの横に息子の遺影が笑って私を、眺めています。相変わらず、息子との思い出の場所を仕事で、通ると胸の中心が痛みます。半年以上も息子に会えないなんて、あり得ないことです。しかし、16で旅立った息子には、会うことが出来ません。母親と父親、感じるものが、受け取り方が違うのでしょうか、それとも単なる性格が要因なのでしょうか?お母さん方の投稿は、多く目立ちますがお父さん方の投稿が少ないように、感じます。子を亡くした父親の苦しさ、悲しさ、つらさを他のお父さん方は、どうしているのでしょうか?有難いことに、同じ病気で子供を亡くしたご夫婦からご助言を、メールで時々戴き、心を緩和して戴いています。母親も父親も、子を亡くした気持ちは、基本的には同じだと思います。「ひとを一番励ますことが出来るのは、過去の自分」だと言います。かけがえのない我が子を亡くした経験を持つひとなど、あまりいないと思います。戦時中には、多々あったことでしょうが。最近、週刊誌などで抗がん剤を扱った記事を目にしますが、今は読む気になりません。息子が還って来る訳ではないからです。また、息子を亡くしてから、日本の医学のレベル、骨肉腫への取り組み方に大きな疑問を抱いているからです。肺に転移してからの、病院の対応、胸に異状を訴えてからの検査の無意味さを実感したからです。父親として、病院の選択に誤りが、あったのではないか、転院を決意したら助かったのではと、息子を助けることが出来なかった自分の、不甲斐無さに腹が立ちます。全ての最終の責任は、自分ではと、息子に申し訳なく思います。「この世に神など存在しない」息子の病気が完治することを、祈願しての数々の、拘り縁起も無駄だと知りました。それでも、「早く息子の所へ逝きたい」と神頼みする自分に矛盾を感じます。同じ病気でこどもを亡くした、ご助言を戴いているご夫婦の有難いお誘いで、22日に遺族外来、精神腫瘍科の専門医の方の講演会に家内と、参加する予定です。「遺族外来、精神腫瘍科」初めて聞く言葉でした。そのご夫婦といつも言います、「懸命に生きてお迎えが来るまで頑張るしかないですね」息子が、旅立って直後あまりに苦しく、悲しく、きつい時に投稿させて戴き、ご自分も苦しくつらいのに、励ましにメールを戴いたファイン様をはじめ皆様、その節は本当に有り難うございました。とにかく、つらく、悲しく、苦しく、悔しい毎日を、なんとか息子に恥じないよう、生きています。皆さんも、無理をしないで心身ご自愛下さい。
YUTAの母 (2011-1-16 0:00 )
テルパパさん、こんばんは。来月でムスコYUTAは天使になって5年です。
1月22日の講演会&交流会はワタクシもオットとともに参加予定です。講演会で同じお気持ちのパパさんとの出会いがあると思います。
テルパパさんはじめ、みなさま、寒さが厳しい折り、どうぞご自愛くださいませ。

カテゴリー: 天使のパパ

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