娘を治療関連性白血病の移植不全で亡くした父です

子どもを亡くした天使のパパ はじめての投稿

no name,nolife (2011-2-12 16:35 )
昨年7月に一人娘を治療関連性白血病の移植不全で亡くした父です。娘はそれこそ周りを明るくさせる天才のような存在で、発病してからも先生や看護師さんに笑顔を絶やさず、いつもニコニコと笑ってちょっとした冗談とかも言いあえたのに、今では明かりが消えたみたいに家が暗くそして静かです。
娘が亡くなってまだ半年のせいか、喪失感と無念さばかりこみあげて、それこそ毎日のように泣いています。元々うつを患っている家内は自分の人生や生きる気力を失ったようにそれこそ抜け殻のようになっています。そして「自分がうつで娘にストレスを与え続けたからこうなった」と自分に対する罪悪感と嫌悪感に悩まされています。不安時のクスリを多めに処方してもらっていますが、カウンセリングもセラピーも今は何をしても駄目な感じです。治りたいという気力も起きないようなそんな感じです。
家事は私が休みの時にまとめてやるようにしてますが、私も娘を失ってからどうしても思うように身体が動きません。少し近所に買い物をするのもつらくて億劫になり、いまだに気持ちの整理がつきませんし、もしかしたらもう一生この状態のままかもしれません。
娘は2歳の時に神経芽腫のステージを発病し、化学療法で奇跡的に寛解になった後、その影響もあったのか7歳で骨肉腫になりました。転移はなく確かに手術しその病気は治ったと思います。しかし、その前後の膨大な抗癌剤投与のせいで数カ月後に骨髄異形成症候群(MDS)が発生し、最も質の悪い白血病へ移行ました。それでも最後まで治ると信じて希望を持って生きていました。
みんなに明るさと笑いをふりまきながら…すごく痛くてつらくて苦しかったはずなのに…絶対治ると信じていたのに…治ったらみんなで(私達夫婦が新婚旅行で行った)ハワイに行こうと言ってたのに…。
みなさん同様私も娘が亡くなる最後の壮絶な瞬間が今でも忘れられません。でも最後に確かに目を開けて私達夫婦を見てくれたような気がしました。でもその後すぐに…すみません。これ以上具体的なことがつらくて書けませんが、あれほど辛い思いをしたからせめて最期は安らかにさせてあげたかったのに…。

この病気が治って今まで通り普通の生活をし、中学、高校、大学にすすみ、社会でいろんな人と出会ってすてきな恋をして、結婚して親元を離れて、年をとった私達夫婦に孫を見せてくれる…。そんな願いが打ち砕かれた今、本当に何もやる気が起きません。
娘が遺した手記には「おいしゃさんかかんごしさんになりたい」と書いており入院前は学校の先生だったので病院のスタッフにはすごい感謝してたんだろうなと思いますが、今でもあの病院で良かったのかセカンドオピニオンはあの先生でよかったのかあの治療方法しか本当になかったのかという後悔ばかりです。同時に今の日本の小児医療体制に絶望感をもちました。大人でもなかなか飲めないクスリを子供向けに開発するのは大赤字になるからどの製薬会社も作らないし、それを推進しようともしない行政は結局自分たちの子どもが健康だから切羽詰らないんだろうなと思います。それでも外国より社会保険制度が整ってマシだそうですし世の中狂ってますよね。
今はせめて娘のことろに行った時に恥ずかしくない人生を歩くことと、娘の魂が安らげるようにひたすら祈る毎日です。それ以外は何もありません。

ちーちです (2011-2-14 12:19 )
投稿文を見ていて、何だか共通点があるように思えて、メールしました。私も、娘が発病する前からうつでして、娘が骨肉腫になったのも、私のせいだと。罪悪感にさいなまれてます。娘も、病院の人気者で、あちこちで、友達を作って、ベッドにじっとしている日は、なかったんです。銚子の悪いときは、皆が訪ねてきて下さいました。お子さんは、何回も大病を患って、大変でしたね。何歳だったんですか?私も、娘の結婚式や成人式を楽しみにしていただけに、絶望感でいっぱいです。一年、二年くらいじゃ、立ち直るのは、難しいでしょう。私で二年です。ようやく、少しは、うつがマシになってきたのですが、主人が出張とかで、長時間家を留守にする時、家の中が静かすぎて、頭がおかしくなりそうな気分になります。本来なら、娘と二人で、お喋りしながら、主人の帰りを待っているのにと思います。娘も、看護師になりたいと言ってました。私は、娘の闘病記を主人と一緒に出す事で、随分前向きになれました。莫大な費用は、かかりましたが、一人でも多くの人に、娘の生き方を知って頂きたくて、書きました。アマゾンで、奇跡のいのちと言うタイトルで売られてます。良かったら、読んでみて下さい。船越千春と入れれば、もっと簡単に検索できます。決して、セールスでは、ありませんので、ご安心下さい。
no name,no life (2011-2-16 15:45 )
返信ありがとうございます。別のフォーラムでちーちさんの投稿は読ませていただきました。確かに共通点があり、この返信を頂いたときは非常にうれしく思いました。
娘はわずか10歳で旅立ちました。娘の部屋にはまだ机がそのまま残ってあり、最後の入院の前日に何か書いていたノートまでそのまま机の上に置いています。
家内はうつが激しくなり、何というか何に対しても興味を持てなくなっています。前述のとおりカウンセリングやセラピーみたいなものでもその場しのぎにしかなっていない状態です。精神科の先生曰く薬と休養と時間が経つしかないそうで、気長にやって行くしか無いでしょう。そういう私も娘がいなくなってから体調が思わしくなく、あれだけ健康がとりえだったのに、通勤だけでしんどい状況。また原因不明の痛みの発生や膝の痛みなどに悩まされ、病院で調べてもらっても特に異状なしのため、「仮面うつ病」と診断されたりしました。
旦那さんはちゃんと支えてくれていますか?家内は両親ともすでに他界しており頼れるのはもう私しかいません。それもわずか2年で立て続けにガンで他界し、その2ヵ月後に娘(当時2歳)の発病が発覚したためかなり重いトラウマを抱えているのだと思います。
私も彼女にこうも立て続けに不幸が降り注ぐのは自分と一緒になったからではないかとか人間不幸が続くとロクな考え方しません。
ちーちさんはすごいですね。娘さんの生きた証を闘病記として残せる力が今の私には厳しいかもしれません。今はただ娘の魂が安らかであることを祈るだけです。こんな生き方をしてもいつまでも娘は浮かばれないと思ってはいるのですが、なかなか前向きにはなれないですね。私でさえこうですから家内はなおさらだと思います。死や苦痛に臆病になりすぎているのでしょうね。
もう少し時間が経って、今より動いたり読みたいと思えるようになれば本の購入も考えてみたいと思います。ありがとうございました。
ちーち (2011-2-19 10:58 )
私は、そんなに強くないですよ。元から、うつを持っていたから、娘の介護は、本当に大変で、よき気絶をして、看護婦さんから、付添を禁止されて、主人が給食届を出して、看病したのです。私は、病院が変わる度に、精神科も変わり、不安定でした。今は、36錠もの精神科の薬を飲んでおり、車の運転も禁止されてます。娘さんは、10歳だったんですか?私の娘は、13歳でした。奥様も、次々と不幸を背負いになられて、お気の毒です。ご主人共々疲れ果ててしまわれたのですね。この間、娘の部屋に開って、メモをみつけました。そこには、お母さん、治療の時、いつもそばにいてくれて、いつも大切に思ってくれて、産んでくれてありがとうって書いてありました。その場で、泣き崩れました。なんで、うちの娘が亡くならないといけないのか、神様を恨んだりしました。私も、カウンセリングは、受けていますが、殆ど、効果はないですね。精神科も、ただ、膨大な薬を処方されるだけです。自殺の方法とかも考えました。飛び降りとか。高い建物を目にすると、じっと眺めたり。でも、出来ませんでしたね。主人はとても、協力的です。精神的にも強いと思います。ただ、難聴で、障害1級なんです。会話が、ずれます。だから、あまり主人とは話す事もなくて、このサイトをメル友に見つけて頂いたのです。ご主人さん、どうか焦らないでくださいね。二年経った私でも、まだ、こんな状態ですから。どこに怒りをぶつけていいのか分かりませんよね。私も、よく似た境遇の方と知り合えて本当に、良かったと思っています。どうか、お大事になさって下さい。
よっくんまま (2011-3-20 16:21 )
私はYOSHIをいなくしてしまって6年がたちます。やっぱり欝で精神科のお薬を40錠ぐらい飲んでいます。それでも普通の生活はできません。時間はすぎてくのに私はYOSHIがいなくなってしまったあの日でとまっています。
ちーち (2011-3-28 11:19 )
こんにちは。私は、娘が発病する前から、うつ病になっていました。主人の親との半同居が原因でした。うつの薬は、一向に減りそうにもなくて、自動車の運転も禁止されて、田舎だから、どこもも行けずに、家で軟禁状態です。娘が亡くなって2年過ぎて、奇跡のいのちと言う本まで出版しました。遺影の娘は、制服を着て、笑顔で笑ってます。本の表紙の娘も、松葉杖をついて、ひまわりに囲まれて、笑顔で笑ってます。そんな遺影や、本を見ながら、私は泣いています。よっくんままさん、私も、あの日で、時計は止まっています。独りじゃないですよ。
ちーち (2011-3-28 11:26 )
私も、なるみが、発病する前から、主人の親との同居が原因で、うつになってました。授業参観も行けず、なるみには、寂しい思いをさせてしまいました。その矢先に、発病してしまったのです。精神科の薬は、どんどん増える一方で、ろれつが回らない時もありまsjひた。今は、精神障害年金を貰ってます。私も、なるみが亡くなったまま時は止まってます。なるみは、13歳のまま、私の心で生き続けます。遺影のなるみも、本のなるみも、笑顔です。それを見ている私は、泣いています。

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