遺伝性疾患による進行性の難病で一人息子を亡くしました

子どもを亡くした天使のパパ はじめての投稿
投稿者:泣き虫パパ (2019-6-21 23:07 )
はじめまして。ネットのサイト検索でこの掲示板を知りました。
先月一人息子を病で亡くしました。27歳でした。
出生時点では何の問題も無かったのですが、1歳検診の血液検査で引っかかり、精密検査の結果、遺伝性疾患による進行性の難病と診断されました。(根治療法は現在も解明されていません。)
診断時は全く元気だったので、親子3人でひたすら誤診である事を祈っていたのですが、事実は厳然たるものでした。
8歳で歩行不可能、車椅子となり、17歳の時座位が取れず、寝たきり、人工呼吸器24時間装着となり、最後までこの状態でした。
不自由な体でも旅行をするのが大好きで、それが家族の最大の楽しみでもありました。無くなる2週間前も泊まりがけで旅行に行き、当日朝も普段と変わらぬ様子でした。
しかし本当に突然、残酷なまでにあっけない別れの時でした。
常に覚悟が必要な難病ではありました。しかしいざその時がやってくると、涙が止まりませんでした。親を看取った時とは比較にならない喪失感と悲しみでした。
逆縁がこれほど切なく、悲しいものとは、本当にこれは経験したものでなければわからないものだと痛感しています。
私も家内も共通の趣味はあり、息子の世話はなくなったので使える時間ははるかに増えたのですが、何をする気力もわかず、体の芯に力の入らない状態です。
いつまでもこれでは天国に行った息子に申し訳ないという気持ちは当然あります。しかし今でもあの子を思い出し、涙しない日はありあません。
やはり、ある程度時がたつのを待つしかないのでしょうか?
同じような経験をなさったお方、ご体験、ご意見をお聞かせ頂けないでしょうか?よろしくお願い致します。
投稿者:ひとりぼっち (2019-6-22 0:30 )
泣き虫パパさまへ
薬害で、一人息子亡くしたばかりのひとりぼっちと言います。
まずは、27年間お疲れさまでした。闘病生活の間もずっとお気持ちはお辛かったと思いますし、でも奇跡も信じておられたと思います。
どんなことがあっても生きていてほしかったですよね。看病も全然苦労ではないのが親です。
余命宣告などされても信じないし、希望を持っているのが親ですよね。
だから亡くなった時は、突然で信じられませんよね。私はまだ認めず、どこか遠くにいると思っています。
一人っ子亡くすと子供のいない人生になり、生きる意味がわかりません。気力も無くゾンビです。
時間薬は効かないですが、生活はなんとかしています。
こちらでは悲しい親のかたがたくさんいますから、安心して心を話せます。無理に立ち直ることより、悲しみを抱えて生きていきましょう!
投稿者:泣き虫パパ (2019-6-22 11:09 )
ひとりぼっち様
レスありがとうございます。
薬害でしたか、それはまた複雑な事情があったと拝察します。
私の方は進行性の病気だったので、元気に動けるうちに連れて行きたい所にどんどん連れて行っておいた方がいいと当時の主治医に言われておりました。介護が本当に厳しいと実感が強くなったのは、座位が取れず、排泄もトイレですることができなくなり、さらに人工呼吸器も24時間装着になったこの10年です。診断時は20歳以上生きられる可能性は五分五分といわれていましたが、延命については進歩しており今の平均寿命は30歳以上に延びてきたと言われています。
それだけにもうしばらくは、この3人での生活が続けられると思っていただけに余計ショックは大きかったです。
今は、まさにやっと生活しているという状況です。
悲しみが完全に癒やされると言うことは無いと思いますが、
この状況がいつまでも続くとも思ってはおりません。
まだお話ししたいこともあり、心にモヤモヤしたものもありますが、今はこれで失礼します。
また、お話ししたいときにここに書かせて頂きます。
投稿者:くまさん (2019-6-22 9:06 )
泣き虫パパさんへ
うちの娘も遺伝性の難病、ミトコンドリア病でした。26歳でした。
発病してから筋肉が徐々になくなり歩行も困難になってきました。
でも、元気でした。亡くなる3週間前には同窓会にも参加してました。それが何の前触れもなく突然に逝ってしまいました。未だに受け入れる事が出来ません。最期に声をかけてやる事も出来ませんでした。
遺伝性の難病、それも母方の遺伝子。私の子どもに生まれてきたせいでこの子はこんな病気になってしまったと自分を責めるしかありません。
子どもに先に逝かれる辛さ。
1年9ヶ月経った今でも頭の中は娘の事ばかりです。
段々、体が不自由になり、好きな事も出来なくなり、
でも、私を責める事もしませんでしたが、どんな事を思ってたのかと想像したら辛くてたまりません。
投稿者:泣き虫パパ (2019-6-22 11:43 )
くまさん

レスありがとうございます。
あまりにも私どもと似た状況なので驚きました。
息子の病気も実は母性遺伝が原因と考えられている進行性難病でした。息子も何回か家内に「だって僕はこういう体なんだから仕方ないだろう」みたいなことを言った事はあったようですが、露骨に恨み言を言うことはありませんでした。亡くなったとき、家内が「ママが丈夫な体に生んであげられなくてごめんね」と言って泣き崩れました。
私は「それは絶対言うな」と言って家内を抱きかかえました。
先日納骨だったのですが、「お墓に入るのだな」と思うと、前日は、生まれた時に「男の子でしたよ」と取り上げられた時から、なくなった日の「おい、どうしたしっかりしろ」と必死になって叫んだ日までの27年が一気にフラッシュバックし涙が止まりませんでした。
差し支えなければお聞きしますが、お子様は娘さんお一人だったのですか、それとも兄弟はいらっしゃるのですか?
私どもの場合は、「体の不自由なお兄ちゃんの車椅子を押してあげる兄弟がほしいね」と思い2人目を意識して、生活した時期もあったのですが、結果的には授からず、小学校入学くらいで自然に諦めるという状況になりました。
正直な話、もう一人子供がほしかったという気もあります。
元気な兄弟のいる家庭はうらやましいです。
しかし妊娠がわかった時は2人目も同じ病気であるという可能性もかなり高いわけで、それはそれで夫婦で相当悩んだと思います。
終わった後で、仮の話や他人と比べたりするのは愚かなことだと自分でも思います。私たちには、あの子に全てを捧げなさいと言う神のお告げがあったんだろうと思っています。
まだお話ししたいこともございますが、また思い立ったときに書かせて頂きます。
長々と失礼しました。

投稿者:くまさん (2019-6-22 20:50 )
泣き虫パパさんへ
さっきから涙が止まりません。うちの娘も泣き虫パパさんの息子さんも似たような年頃です。
同じ年代の人たちはそろそろ結婚したり、楽しい時です。
それなのに、
不憫でなりません。せっかくこの世に生まれてきたのに。
泣き虫パパさんの息子さんも毎日、どんな気持ちでいたのでしょうね。想像すればするほど胸が張り裂けそうです。
うちの娘も、友達が結婚したとか、赤ちゃんが生まれたとか聞いてどんな想いでいたのか。可哀想過ぎです。
私には娘の上に息子がいます。でも高校を卒業した後は県外で、ほとんど帰ってきません。それでもまだ、いるだけいいですね。
旦那も情の薄い人なのか、喋らないので何を考えてるのかよくわかりません。私ひとりだけが悲しんでるように思えます。悲しみを共有出来る人が身近に欲しいのですが。毎日、一人で泣いてます。
投稿者:泣き虫パパ (2019-6-24 18:42 )
くまさん

レスありがとうございます。
亡くされた娘さんの上に、息子さんがいらっしゃるとのこと。
お気を悪くされたら申し訳ありませんが、正直、私はうらやましいです。息子さんは高校を出たらほとんど家には帰って来ないとのことですが、男の子は大抵、そんなものですよ。かく言う私自身も、高校出てからは「便りのないのはよい便り」を地で行く生活でした。実家に帰るのは、大学時代は、年2回、社会人になったら年に1回のペースでした。息子さんはお帰りになった時は、体の不自由な妹さんを簡単でもいいから世話したり、会話したりとかコミュニケーションを取っていませんでしたか?
ご主人も殆ど喋らないということですが、娘さんの事を忘れているなんてことは決してないはずです。(同じ父親として確信を持って言います)
息子さんはまだ独身なら、今後結婚し、子供ができればおそらく変わると思います。自分が父親になって初めて親の真のありがたさがわかりますから。親子3人仲良くやって行かれればと思います。この掲示板を、家族にも気持ちをぶつけにくい状況の時にはうまく利用していかれればよいのではないでしょうか。
私もどうにもやりきれない時に、カキコさせてもらおうと思います。今後ともよろしくお願いします。

投稿者:ひとりぼっち (2019-6-25 18:46 )
泣き虫パパさまへ
うちの息子は26才でした。26年間共に暮らした記憶も愛情も簡単に消せません。忘れるなんて無理です。
奥様が御自身を責めてしまうお気持ちよくわかります。責めていないと逆に辛いのです。自分を責めることで償いをしています。
合理的に考えたら、早く忘れて前を向けということになりますし、まわりはそれを強要しますが、親との死別と違い、時間薬は効きません。
また他に子供いれば、悲しみはあっても孫が産まれたり幸せもあります。
一人っ子亡くして子供いない人生になった母親は未曾有の悲しみです。奥さまのお気持ちは長引くと思いますが、理解してあげてください。
投稿者:泣き虫パパ (2019-6-25 23:48 )
ひとりぼっちさん

レスありがとうございます。また家内への
お心遣いありがとうございます。
息子の難病が母性遺伝が原因だった事については、
私は死ぬまで家内を責めないと誓っています。
一番辛いのは家内です。また息子は大の甘えん坊で
ママが大好きでした。天国の息子が悲しむような事は
絶対にしないと心に決めています。
また何か思い立ったらカキコしますので、よろしくお願いします。

投稿者:くまさん (2019-6-25 22:03 )
私の娘も遺伝子の病気で亡くなったので毎日自分を責めています。
県外に息子がいて一歳の孫がいます。でも、娘を、なくした悲しみが大きすぎて孫には申し訳ないですが、孫の事は私の頭の中にはほとんどありません。県外にいて会う事もあまりないので余計にそうなのかもしれませんが。
たまに送ってくる孫の写真や動画も見たくないし見ません。楽しむ事や成長を喜ぶ事も出来ません。
それでも、いるだけいいのかもしれませんが。
娘がいなくなった悲しみはあまりにも大きすぎて、孫や息子には申し訳ないです。
投稿者:泣き虫パパ (2019-6-26 0:02 )
くまさん

レスありがとうございます。
差し支えなければお聞きしたいのですが、
娘さんは、いつ頃、おいくつでお亡くなりになったんですか?
さぞお辛かった事と拝察いたします。
1歳のお孫さんがいらっしゃるとのこと。かわいいさかりですよね。
私どものように一人息子を亡くし、孫の顔を見る可能性も
無いものからすれば、正直うらやましいです。
娘さんを思う気持ちは大切にしつつも、お孫さんもかわいがって
あげてほしいなと、切に思いました。
余計なお世話でしたら申し訳ありません。

投稿者:泣き虫パパ (2019-7-4 19:36 )
二回目の月命日でした。
弔問関係で来てくれる方もほぼ終わり、役所、葬儀関係の
精算も終わりつつあります。
あの子と過ごした日々がどんどん遠ざかっていき
悲しみは募る一方です。
しかし自然の摂理に逆らうことはできません。
あの日を境にメンタル面で完全に変わったことが一つあります。
今までは「死」イコール「怖い、いやだ」しかなかったのですが、
「あの子に会える」という感覚で捉えられるようになりました。
「死」への恐怖、嫌悪感のハードルがはるかに下がった気がします。
これからそれほど長くない残された人生を歩むに当たり、
この感覚はポジティブに捉えていいのかなと言う気がしています。
親を看取った時は、こんな感覚は全く起こらなかったんですが。
とにかくなんとか生きているという感じです。
投稿者:ひとりぼっち (2019-7-5 1:35 )
わが子に会えない時間がどんどん長くなり、悲しみは増しています。親や友達との死別は時間薬効きました。
わが子が生きていた頃は、障害者の息子のために長生きして、死ぬまで働くつもりでした。死にたくなかったです。
今は、いつ死んでもいいしこの世に未練は無いです。早く死にたい気持ちです。もうわが子にしてあげられることは何も無いのが辛いですね。
でも、せめてボランティアでもして生きていこうかなと思います。
投稿者:泣き虫パパ (2019-7-5 18:32 )
ひとりぼっちさん

息子さん、薬害とお聞きしましたが、障害も抱えておられたんですね。
私の息子は既に書きましたが、進行性で最後は指先しか動かすことができませんでした。人工呼吸器は24時間装着でしたが気管切開はしていなかったので、何とか声を出すことはできました。(気管切開していれば声を失う代わりに、もう少し長く生きられたかもしれません。本人が拒否したのでしませんでした。)

どんなに辛い重い病気、障害であっても直って社会復帰できればいいです。
私の息子のようにそれができない重篤な病気の場合は親が最期まで面倒をみるしかありません。20歳を過ぎてからは、病気の進行が加速していく一方、私共の体力的な衰えを日々実感していました。でももうしばらくは何とかなりそうだとも思っていました。たとえ回復の見込みのない病気、障害であっても1日でも長くいてほしい、家族と楽しい時間を過ごしたい、それだけを生きがいにしていました。親として当然だと思います。それだけに今は、夫婦そろって糸の切れた凧状態です。生活があるので私は仕事に復帰、家内は認知症で近くのホームに入っている父親(私にとっては義父)の世話が主な日常になっています。どちらも精神的にも体力的にもギリギリの状態ですが。

ひとりぼっちさん、「早く死にたい」なんて書かれていたのでギョッとしましたが、最後の一行を読んで安心しました。私もなんとか生きております。

それでは、またなにかありましたら、書かせて頂きます。

投稿者:泣き虫パパ (2019-7-13 11:50 )
先日、家内が遺品を整理していたら、特別支援学校卒業時の感謝会でのDVDが出てきたので、二人で見ました。
 中高の同級生9人が持ち寄った、各人の生まれた時から卒業までの写真と、先生が撮影した学校行事の映像が収められていました。
生後6ヶ月の笑顔いっぱいの写真は年賀状にも使いました。その1年後に運命の診断が下るなんて誰も知る由もなく、「あの頃が人生で一番幸せな時期だったかもしれない」と思いました。「まだ元気に歩けていたんだ。」、「歩けなくなり、車椅子になってしまった。」、「まだ座って字は書けていたんだ」、「座位が取れず、寝たきりになってしまった」、「人工呼吸器、マスクが24時間装着必要になってしまった」、画像が進んでいくにつれ進行性の病気の厳しさを実感しました。
 後半に、学校行事での息子の映像と肉声が聞こえた時は、二人とも、涙腺完全崩壊状態でした。何か一瞬、息子に会えたような気がしました。今後も時々見ると思います。
 日々徐々に障害が進んでいく、良くなる可能性はまずない、それは息子も知っていました。しかしそのような日常でも親に対して露骨な恨み言は一切言わず、短い一生を精一杯生き抜いた息子を改めて誇りに思いました。
 そして、病院、学校、介護福祉関係の多くの方々に支えられていたということも再認識しました。感謝の気持ちも忘れてはいけないと思います。
 でもやっぱり、「もう少し長く三人での生活を続けたかった、家族で旅行したかった。当日朝まで元気だったのに」という思いを抑えきることができませんでした。まだまだこの心理状態は続きそうです。
 長々と失礼しました。また、思い立ったら書かせて頂きます。
ひとりぼっち (2019-7-13 23:21 )
泣き虫パパさんへ
前の書き込みをあらためてもう一度読ませて頂きました。息子さんの壮絶なまでの闘病生活と、それにも関わらず、責めることもせずに、力を振り絞って精いっぱい頑張ったことに深く深く感動しました。息子さんは立派ですよ。誰よりも辛かったのは息子さんですよね。
投稿者:泣き虫パパ (2019-7-14 11:51 )
ひとりぼっちさん

レス、ありがとうございます。
 前スレで書きましたが息子は1歳6ヶ月で遺伝性疾患による進行性難病と診断されました。周りの子はできない事がどんどんできるようになる、逆に自分はできていた事がどんどんできなくなる。自分がいくら努力してもできない。ある程度成長し自分がどういう病気か多少わかるようになったら、「何でぼくは、何も悪い事してないのに、こんな病気で生まれてきたんだ。」といわれる事も、いつかくるだろうと覚悟していました。しかし、両親を責め立てるような事は一切ありませんでした。家内が一番辛かったと思います。亡くなった時、息子の遺体にとりすがり「ママが丈夫な体に生んであげられなくてごめんね。」と言って泣き崩れたのは積年の溢れる思いが湧き出たのだと、受けとめています。
 息子は典型的なママっ子でした。「もしママがぼくの世話ができなくなったら、ぼくも死ぬからいいよ。」なんて事まで言ってました。天国から「ママ、今までありがとう。これからはまだ体力の残っているうちに、ぼくの世話の為に、我慢していたことをどんどんやってね。そしてパパといつまでも仲良くしてね。」と言っている息子の声が聞こえてきます。
 「パパとママは体力の残っているうちは、ずっとおまえの世話をしていたかった。3人でいるときが一番幸せだったよ。」と涙しながら答えている私がいます。

投稿者:ひとりぼっち (2019-7-14 16:27 )
泣き虫パパさんへ
息子さんとパパさんとママさんの闘病の27年間の素晴らしいお話を、本にまとめられて出版なさることも、息子さんの生きた証しとしては一つの方法ですね。またはアメバのブログで綴るのもできますね。多くの読者のかたが感動し、同じ病いのかたを励まし、中には悩める若者が自死を思い止まる人もいるかもしれません。私もその時は読ませて頂きます。
投稿者:泣き虫パパ (2019-7-14 22:49 )
ひとりぼっちさん

そんな本にするなんて大それた事は全く考えていません。
今は、他にぶつけようのない喪失感と悲しみをこの板をお借りして
お伝えしているという状況です。
息子と共に生きた27年間を通し、命の尊さ、はかなさ(これが一番辛かった)、健康のありがたさ、家族の絆、人への感謝、思いやり、これら全てをあの子は私に教えてくれました。完全に価値観が変わりました。家族みんなが健康で仲良く暮らせる。これに勝る幸せはありません。今でもあの子は私たちと一緒にいる、家族3人でいるんだと言い聞かせています。

投稿者:泣き虫パパ (2019-7-22 22:33 )
 先日、息子と同じ病気で同じく一人息子を約10年前に亡くしたご夫妻と話をする機会を持ちました。
同じ思いをされている方との話は安心感、説得力が全然違いました。
相手の息子さんも、私の息子と同様に直前まで問題なく過ごしていたのに、あっという間に最後の別れが来てしまったとの事でした。
 それだけにしばらくはショックで呆然としていたとの事ですが、2年位してようやく旅行とか活発に外に出ようという気になってきたとの事でした。
今でも息子さんの事は片時も忘れないが、今は悲しいと言うより、いつもそばにいてくれるという気持ちの方が強いとおっしゃっていました。
 私たちはそういう心境に達するのはまだしばらく時間がかかりそうではありますが、とにかく一日一日を精一杯生きていくしかないと思っています。
あの子を思い出し、泣きたくなったらお互い、いつでも泣いていいと、家内とも話しています。
 あの子は私たちの心にいつまでも共に生きています。
投稿者:くまさん (2019-7-24 12:59 )
娘がいなくなり、1年10カ月過ぎました。でも、まだ全然ダメです。
亡くなる日のお昼ご飯も普通に食べてたのに。あの日、もっと早く帰っていれば。
段々、筋肉が、なくなる病気だったので、ペットボトルの蓋があけれなくなった。とか、ろれつが回らなくなってきたとかも笑顔で言っていました。私に心配かけたくなくて笑顔だったのだと思いますが、どんな気持ちでいたのかと考えると辛くてたまりません。
逢いたいです。
投稿者:泣き虫パパ (2019-7-26 14:42 )
くまさん

 前スレでお嬢さんの病気についてお書きでしたが、息子の病気は、お嬢さんの病気と同じではないですが、遺伝性疾患による進行性難病、更に現代医学をもってしても根治療法が解明されていないという点では全く同じでした。
それでも、延命治療についての進歩はあり、平均寿命も確実に伸びているという事もあったので、まだもう数年は家族一緒にいられるだろうという思いがありました。(病気の重篤さを考えるとちょっと楽観的過ぎたかもしれませんが)。それだけに突然逝かれるとショックは尚更大きいですよね。私どもの場合、来月で3ヶ月ですが、「一区切り」とか「切り替えて前向き」なんて気にはとてもなれません。
人それぞれ感性、環境は違うので一概に言うことはできないと思います。ただ、同じ思いをされた方から話を聞く、聞いてもらうというのは、精神衛生上は良い影響を与えてくれると思います。それによって急に前向きになれるなんて事はないですが、多少の落ち着きは得られるのではと思います。相手の痛みを本当に理解できる人と、時々でも連絡を取り合われることをお考えになってはいかがですか?この情報化社会ですから、探すことも可能ではないでしょうか?余計なお世話でしたら失礼しました。

投稿者:くまさん (2019-7-27 18:12 )
泣き虫パパさん
お気遣い、ありがとうございます。実は定期的に子供を亡くしたお母さん達と会って話しています。同じ悲しみを抱えてる人との会話は安心できます。それとカウンセリングも受けています。悲しみ、後悔、罪悪感、色々聞いてもらっています。その時は少し気持ちが楽になります。
でも、一人になった時や家にいるとき、やっぱり思いだし辛くなります。
池袋 (2019-8-12 18:47 )
こんにちは。
このサイトを今日初めて見て投稿させていただきます。

私も先月26歳の娘を亡くしたばかりの父親です。幼少の頃患った白血病の治療後遺症により呼吸器疾患にかかり苦しみながら旅立っていきました。

毎日涙が溢れて止まりませんが、ここで同じ想いをもつ同世代の方々のお話しを聞くだけで少し心が軽くなります。

また覗かせていただきます。よろしくお願いします。

投稿者:ひとりぼっち (2019-8-14 16:48 )
池袋さまへ
26才のお嬢様に先立たれてお辛いですね。闘病の辛さにも耐えて頑張っていたのに可哀想過ぎます。私も今年、一人息子を薬害で26才で亡くして、全然立ち直れません。こちらで力を頂いて、なんとか生活しています。お互いに辛い毎日ですが、励まし合っていきましよう。
投稿者:泣き虫パパ (2019-11-11 14:33 )
 先週、息子が逝ってから丸6ヶ月が経ちました。
喪失感や悲しみが癒える事は全くありません。
気持ちの持ちようが直後とは多少変わったという気はしますが。
喪中ハガキもほぼ同時に出しました。親が亡くなった時は殆ど事務的な感じで感傷は全くありませんでしたが、今回は全然違いました。
 去年の11月は家族で箱根に紅葉を見に行ったり美術館巡りをしたり、毎週のように家族で外出していました。1年後、こういう状況になっているとは思いもしませんでした。これから冷え込みが厳しくなり、年末に向かって世の中全般がそわそわ落ち着かなくなってきます。みなさん、特に私と同様、今年我が子を亡くされた方々は、体と気持ちをしっかりコントロールして年末年始を乗り切っていきましょう。 
投稿者:ひとりぼっち (2019-11-13 16:29 )
泣き虫パパさんへ
喪中ハガキを出すところですが、人生どうでもよくなり、終活かねて年賀状やめるというお知らせを出そうと思います。
成人した子供のいる人達からの子供の結婚報告や孫の誕生とか知らせてもらわなくていいのです。
私も昨年の今頃を思い出し、息子を看病していたなと切なくなりました。とっくに涙は枯れてしまいましたが生きる気力が湧かず、ゾンビな毎日です。でも辛いのは自分だけじゃないし、今も亡くなった息子のように苦しんで闘病している患者さんたちがいることを忘れてはいけないと思います。
投稿者:ニャロパパ (2019-11-14 11:02 )
そうですよね、うちも喪中ハガキを出す所ですけど息子が亡くなった事を再認識させるみたいで気が重いです。 先日、コタツを出そうとクローゼットを掻き回してたら幼少の頃の写真が出てきました。記念写真とかでは無く日常生活を取ったもので生き生きしてて眩しい程でした。その中で甘えっ子の息子が俺の懐でヌクヌク包まれ、おしゃぶりしてる写真を見て家内が「これ、年賀状の写真にしたら良かったね」と言い二人でワンワン泣いてました。 これから、あの子のいない初めての秋季、クリスマス、正月‥。寂しさに押し潰されないか不安です。 皆様もメンタルや体調にお気をつけてくださいませ
投稿者:泣き虫パパ (2020-5-6 16:49 )
 先日、息子が27歳で天国に旅立って丁度1年が経ちました。
多くの方が書かれている通り、我が子を失った悲しみには時間薬などという物は存在せず、悲しみが癒えるという事は全くありません。
 命日は、突然の別れが思い出され辛いだけなので、逆に仕事を入れました。家内は認知症の親の世話で近くの施設に行きました。
1年前と今とで変わった事と言えば、現実を受け入れられず魂の抜け殻状態だったのが、少しマシになったという感じでしょうか。
 しかしこんな大変なご時世になるとは夢にも思いませんでした。息子が居たら、24時間人工呼吸器装着なので、両親は絶対感染出来ない
外出もさせられない等、大変な負担を抱えていたと思います。まさか息子が予見していた訳ではないでしょうが。息子が使用していた人工呼吸器が、今、どこかで役立っているだろうと願っています。
 この大変な時期を精一杯頑張って乗り切っていきましょう。
それが天国に先に逝った我が子の一番の願いだと思いますから。
カテゴリー: 天使のパパ

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