
5月23日、娘の命日、1周忌でした。
親しかった友人、知人が娘を偲び、お花を贈って下さったり、訪ねて来て下さいました。ありがたいことです。
生きていれば、来月は27歳の誕生日を迎えるはずでした。
1年経ち、前を向きかかっていたのですが、1年前のあの日に戻ってしまいました。娘の笑顔の写真を見てはため息。
生きる希望も意味も見失ってしまいました。
娘の友人たちは、輝く未来も希望もあるのに、娘は…
世の無情、当たりどころのない怒り。悔しいです。
時間薬なんて、嘘です。1年経ち、哀しみを新たにしています。
もう、どうでもいい。
ただ、ただ、娘を返して欲しい…。
チョコさん、こんにちは。
命日…1周忌だったんですね
私の息子も命日は28日ですが、
1周忌法要を先週土曜日に行いました。
そして22日には高校の部活の仲間がたくさん
訪問してくれました。
就職している先輩もいて、何だか眩しかった。
息子だけがいない…
目に見えない
そう思うと苦しかった
チョコさんの気持ち、痛いほどわかります。
私も全く同じだから…
1年経ったって
子どもたちが還ってくるわけじゃない
悲しみがカタチを変えて
深く深くなっただけ…
世の中は幸せな人のためにだけあるようなもの
私も、いつもどうでもいい…そう思ってます。
息子のいないこの世から自分を消し去りたい。
ひとつひとつ諦めていくしかない
明日は息子の21歳の誕生日…。
私は確かに21年前息子を産んだはずなのに
何で今ここにいないの?
私だけ別世界にいるようです
チョコさん…
私も悔しくて悔しくて堪らないです

チョコさん、アップルティーさん
こんにちは。
ご命日だったのですね。
辛く、苦しいお気持ちがぶり返してしまいましたね。
お気持ち良くわかります。
私も、8月に娘の誕生日を迎え、27歳になるはずでした。
その誕生日が、今年は娘の新盆になるとは考えてもいなくて、考えても、考えても現実を受け入れることが出来なくて、触れると自分の体もバラバラと音を立てて崩れていきそうです。
私も、もうどうでも良くなりました。。。
お気持ちは皆さんと同じです。
これから、娘のいない自分の長い人生・・・・
どうやって、乗り越えたらいいのでしょうか・・・・・
新盆も命日もいらないです。
娘さえ帰ってきてくれたら、何もいらないです。

チョコさん、アップルティーさん、みっちゃんさん。はじめまして、こんにちは。
命日、辛いですよね。その日を迎えることが今からこわくて仕方ありません。子供が亡くなった日、亡くなった時間どんな気持ちになるんだろう。。一周忌までは、去年の今頃は子供達と何をしてたとか思い出せるのに、2年目からは子供が亡くなった後で思い出がなくなるんですよね。。
私は就学前の幼い息子を2人、私の不注意からの事故で亡くしてしまいました。
今日が4回目の月命日です。
来月は次男の誕生日。。皆さんと私も同じ思いです。
確かに息子を産んだのに、産まれてきてくれた証の帝王切開の傷跡は残ってるのに、息子達がなんでいないんだろう。。
去年までは誕生日プレゼントを考えたり、ケーキを予約したり、部屋を飾り付けたり、楽しく待ちわびていた誕生日。息子が産まれてきてくれた素晴らしい喜びの日だったのに。。今は悲しい辛い日になってしまいました。
ほんとうに何もかもどうでもいいです。。お見舞いもプレゼントも何をもらっても虚しい。何もいらないから、子供達のいた毎日に戻りたい。。


アップルティーさん、みっちゃんさん、ことりさん
気持ちが同じと言ってくださってありがとうございます。
気持ちの共有が出来る方がいらっしゃるだけで救われます。
子供を亡くすこと、これ以上過酷なことはありませんね。
時間が経てば、解決するものでもなく、本当に孤独な戦いです。でも、こうして吐き出す場所があるってありがたいです。自分の命の終わりが来るときまで続くであろう、この思い。それぞれに亡くした子供の年齢、状況は違っても、私たちは仲間です。助け合いましょう。
みっちゃんさんの娘さんとは、同い年なのですね。結婚されていたとのこと。切ないですね。
これから、幸せになるはずだったのに…。
娘は、未婚でしたが、私をおばあちゃんにしてあげたかったと言ってくれました。
必ずや来世で叶えて欲しいです。
チョコさん、皆さん
こんばんは。
ご連絡が遅くなり、すみません。
新緑の眩しい5月も終わり、また一つ季節が変わりましたね。
私達の心の時計はとても進みが遅く感じるのに、月日が経つのは早く感じます。
チョコさんのお嬢様と、娘は同じ年だったのですね。
これから一番幸せな時間を過ごす筈であったでしょう…と、チョコさんのお嬢様や娘の事を思うと、生まれ変わったら今度は末長い幸せな人生を歩むよう願うばかりです。
これからも、今頃子供達がいたら、こうであろう、ああであろうと、想いを馳せながら一緒に時を重ねて行きましょうね。。
宜しくお願いします。

チョコさん
おはようございます。
私の手違いから、返信の投稿をしていたのですが、中々承認されず投稿の閲覧ができずにいました。すみません。
お嬢様の1周忌、お疲れさまでした。
心身とも、まだまだ悲しみから抜けないのに、本当に大変であったと思います。
月日は、経ってもう1年過ぎたのに、私達は、まだその月日の流れについていけませんね。。
チョコさんのお嬢様とうちの娘が同い年であった事、本当に何という巡り合わせなのでしょうか。
手塩にかけて大切に育て、慈しんできた子供を何故、先に旅立たせなくてはいけないのか、いつもいつも悔やんでしまいます。
時が経つ毎に、その悲しみ方も変わると言いますが、本当なのでしょうか…….
私には、時が経つにつれ、娘を忘れないで。。。私にとって宝物だった娘を忘れないで、という思いが強くなります。
それと同時に、哀しみはいつまでも変わらない。そう思います。
チョコさん、これからは娘達の遺してくれた沢山の思い出を偲び、辿りながら娘を身近に感じて、頑張って生きて行きましょうね。


みっちゃんさん
ありがとうございます。
本当に、宝物でしたね。末っ子の長女でした。
私にとっては、まさに分身。娘が私そのものでした。
亡くなる前、約束しました。私の中に入って、私と共に生きること、そして、衝動買いの多い私にテレパシーを送ってくれること、車の移動の多い私が事故らないよう守ること。
娘は、私と共に生きている。そう思うことによって、少しは救われます。
でも…辛すぎるし、哀しすぎますね。
26年間、幸せでした。娘の母親になれたこと、感謝しています。また、来世でこの世の続きをしたいです。
チョコさん
おはようございます。
本当に、宝物でしたね。
いつも傍にいて、笑っている姿が今も目に浮かびます。
生まれてすぐに抱いた感触、よちよち歩きながら私を追う姿、いつの間にか成長して美しい女性になって・・・
本当に26年間、幸せでしたね。
毎朝、仏壇に祈ります。
いつも傍にいてね・・と。
季節も、梅雨に入りジメジメした雨の日や、暑い1日になる時もあり、体調を崩しやすくなるので、どうぞご自愛くださいね。。。
明日もまた、娘と共に。

チョコさん、
皆さん、こんばんは。
チョコさんが先月を、そして今月をどんなお気持ちで迎えられているのかと、
考えるだけで手が震えて、何かと思っても、なかなか言葉も浮かびませんでした。
今の私でさへも、毎日がまだまだ辛くて、娘に会いたくて会いたくてたまらないのです…
頑張ろうとするととても疲れてしまうから、無気力になろうとしてみたり、試行錯誤しているうちに日が暮れてくれたという感じで、1日が終わってるのかな。
娘にほんの少しでも会える方法はないものかと、そればかり考えてしまいます。
チョコさんのお嬢さんを想われるお気持ちには届かないかも知れませんが、
娘に会いたくてたまらない母親として、一緒に頑張らせてください。


じゅぴたーさん、ありがとうございます。
命日が過ぎ、今週は誕生日です。やはり、色々なことが頭をよぎります。誕生した日のこと、亡くなった日のこと…
私の人生の1部分を豊かに輝いたものにしてくれた娘。
私は幸せだったけど、私は娘を幸せにしてあげられただろうか?これでよかったのだろうか?
もっと生きたかったでしょう?やりたいこと、たくさんあったでしょう?ごめんね。丈夫な身体に生んであげなくて…後悔ばかりです。
大海原に一人ポツンと浮かんでいる、そんな感じです。
どこに行きたいのか?どうしたいのか?身体中の力が抜けて、漂っているだけです。
ここに来ている皆さんは、本当に優しいかたばかりで、普段は苦しい気持ちに蓋をして、作り笑い、大丈夫なふりをしてしまいますが、本音で話ができます。これからも宜しくお願い致します。
はじめまして
昨年の4月に6年間闘病した一人娘を亡くしました。22歳でした。
一周忌を過ぎてもまったく立ち直ることが出来ずにいます。
こちらで皆さんの投稿を読ませていただいて、どの方も私の気持ちそのままで…
娘は6年という長い月日を、弱音も吐かずひたすら前を向いて頑張り続けました。16歳から、いちばん楽しいであろう青春の日々を病院で過ごしました。
なんでうちに娘だったのだろう、どうしてこんなことになったのだろう、ただただ娘が不憫でやりきれない哀しみの中で今日まで過ごしてきました。
4月になんとか命日を乗り越えましたが1年経っても哀しみはまったく変わらず、むしろ深くなっているような気がします。周りからは少しずつでも前を向くように言われますが、娘のいない何の希望もない未来を向けるはずもありません。
娘が迎えることが出来なかった今日という日を、私が虚しく過ごしています。

はじめまして、えむけいさん。
私の娘は24歳で昨年の6月に一人旅立たせてしまいました。
もうすぐ一年がやってきます。
4月にはお誕生日を迎えてとても辛い日々をあらたに過ごしました。次は一年。その日が近づくごとに苦しくなります。
きっと何年たっても何十年たってもこの思いは続くんでしょうね。
どうしてうちの娘がってやっぱり思います。
辛く苦しい日々はとても辛いけどでもそれは私たちの子供への想いそのものですもんね。
娘がいない日を物凄く不安に感じていました。
我慢できるはずがないって思っていました。
娘は脳腫瘍でした。
手術で麻痺した右側が使えないので私が一緒にお風呂に入っていましたが、最後の方は私が入れられず入浴介護を頼んでいました。
ごめんねって思っていました。
だから今もまだ浴槽に浸かることができません。
娘が入れないのに私が入るのがどうしても出来なくて。
もう一年になるのに周りからはどうして?って言われますが私は娘と一緒に入りたいから…。入るときは娘と一緒にって未だに頑なに拒んでいます。
おかしいですよね、でもどうしてもできません。
いつか入れるようになるのかな?
でもやっぱり一人では入りたくないなって考えてる私がいます。

マサコさん、はじめまして。
どうぞよろしくお願いします。
同じ気持ちです。毎日辛いですよね。
私も出来ないことがたくさんあります。
お風呂も、娘は入院中はシャワーしか使えなかったので、私が浴槽に浸かるのは申し訳ない気持ちでいます。
一緒に行った場所やお店にも、私一人で行くことが出来ずにいます。娘の好きだった食べ物も食べられません。もう娘が出来なくなってしまったことを私が一人でするという罪悪感から逃れられません。
そうして何よりの罪悪感は、娘が病気で苦しんで逝ってしまったのに私がまだ生きているということです。娘がいなくなったら生きていけない…と思っていたのに、こうして毎日過ごしていることです。

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