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motherにより2020-10-07 10:43に更新されました。
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スヌーピー
秋を感じられる季節に入りましたが
平成28年12月に次男が星になってしまったので
その日までのカウントダウンが始まった様で辛さが増してくる秋です。次男の話しは最初の頃は次男の親友や次男がお腹にいる頃からのママ友らにたくさん聞いてもらって本当に救われた話せる人達がいて私はまだ恵まれてるし次男がそういう友達を私に繋いでくれたと思いました。
でも文字にすることはできなくてやっとこのサイトに何日か前から文字にする事ができるようになりました。
文字にするって私には記憶を蘇らせて、
かさぶたになってる心の絆創膏を剥がしてひっかいてまた傷口が血が出るっていうのかな?
そんな行為と文字にする事で同じ経験をした人と分かり合える薬を飲める、って例えたらいいかな……どんな小さな偶然や笑われそうな出来事も私達には 子供からのサイン?知らせ?って思える事がたくさんあるから… この四年の間にこんな事がありました、次男の事を感じられた出来事を1つづつ文字にしようと思います。
朝の早い時間が死亡推定時刻だったので
それくらいの時間帯は私は洗面所で洗濯や自分の身繕いで1時間ほど過ごしますが洗面所は
次男が長い時は30分以上も居る場所でした。22歳のおしゃれさんだったので出かける前はシャワーを長い時間して洗面所で髪を整えたりして今でも洗面所にいて鏡を見てる次男の後ろ姿が見える様です。
冬場なのでどこの扉も閉めていたので
風など吹くはずも入るはずもないのに
私が泣きながら洗濯物を干していると
突然、生温かい風が洗面所にふわっと入ってきて私を包み込んだのです。私はビックリよりも
怖って…と、同時にあだ次男だ、あっごめん
ママ、怖って思っちゃったよママ霊感とかそんなのないからさ、ごめん、もぅ一回来て…
ほんの一瞬の出来事だったけど今でもその時の温かい風がわたしを包んだ感覚ははっきりと覚えています。
みなさんのように子供が亡くなった翌日に子供の服を洗濯して干すという切ない日常の家事、
今でも時々洗う次男のパジャマや枕カバー、
次男がいないのに私は身繕いして化粧して仕事なんかになんで行けるのだろう…最初の1年は洗面所てほおを伝う涙で進まない化粧、前夜泣いたから腫れた目につけれないコンタクトレンズとの格闘、そんな私に次男が逢いに来てくれたと…
決して家では私には素っ気ない態度の次男だったけどこの小さな出来事は私に ママ生きていつでも近くに行けるから とのメッセージに取れました。
冬場でなく冬場でなかったら家中の扉が開けてあって次男の出したであろう小さなsosも聞こえたであろう、冬場でなかったら3日前に風邪かな?と思い病院でインフルエンザではないですよ、胃腸風邪ですよ、との診断に安心はしなかっただろう、まさかその風邪の様な症状が急性心筋炎?の前症状だったかも?と本人も家族も誰もが思わないし今となっては解剖を望まなかった私には、
星になってしまった次男は見える姿としては
家の中にはいないのだから… 冬場でなかったらの思いだけ。顔は穏やかで… 最後の時は一人ぼっち…
小さな頃は怖がりで甘えんぼうで…
どんなに最後は怖かっただろうかと思うとママはいつもママは胸が潰れる…
すぐ右手先に携帯があったのに助けも求めれただろうに、それすらもできないほど短時間で穏やかな最後だったのかと…
携帯の履歴はまだ4時には残ってるのに、
6時〜7:30の短い時間、ママはずーっと洗面所にいて次男のお気に入りセーターを手洗いしてて………ごめんね、気付かなくって、いっつも遊びやら仕事やらで家にいること少なくてすれ違いが多くて、でも夜中にオフ入ってドライヤーで髪を乾かしてる音や二階へ上がってくるトントンって早足の音で帰ってきたなぁ〜っ安心してたよママは。
その足音が聞こえなくてママはとても寂しいmother
スヌーピーさん。
亡くなったお子さんの気配を感じる・・・ というか、探し求めることは日々ありますよね。
今年初め、25歳で旅立った息子の葬儀を執り行う式場に入ったとたん、車椅子に乗って彼がまさにその場に来て、私たちと一緒に式場を眺めているような気がしてなりませんでした。彼の愛用品をテーブルに飾り、彼の小さいころからのアルバムも置きましたが、彼がどう思っていたのか聞いてみたかったです。台所で炊事をしているときには、たまにのそーっと私のそばに来て、あれこれ手伝ってくれた彼の痩せてちょっとごつごつした身体の感じが今でもよく思い出されます。洗濯をしていると、足がもう良く動かなくなっていたのにも関わらず、松葉杖で必死に歩いたり車椅子で通勤していた彼の姿を、いつも物干し場から心配しながら見送っていたことが思い出されます。
でも時々窓を開けていて小さい虫やクモが部屋に入ってくると、あっ、彼が来てるのかな、とちょっと嬉しく思うことも。
こんな、こまごました日常の思いとは裏腹に、彼が在宅医療で過ごしていた部屋に、私一人では長時間いることはもうできません。彼との関わりが強い場所にも、今は行くことはできません。その場で、思い出に押しつぶされて泣き崩れてしまうかもしれない自分がいるからです。
いつまでもこんな自分の感情ばかり優先していては、彼の「もういい加減にすれば?」というクールなつぶやき声が聞こえるような気もしますが、何か月、いや何年経ってもスヌーピーさんのように、思い出はどっと溢れて、心をかき乱すことはなくならないのだろうと思っています。息子もきっと許してくれるだろうと思います。
毎日夕方の帰宅時間に、部屋の扉を開けてスマホ片手に静かに部屋に入ってくる息子。
病状が一進一退する中でも、楽しいこと苦しいことすべてを分け合って過ごしてきた可愛い私の息子。
今ここに私たちと一緒にいられないことが、本当にとても悲しく辛いです。
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