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あやかにより2021-01-06 10:54に更新されました。
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riomama
7月に大切な一人娘を亡くしました。
まだ8歳でした。
2年前にも腫瘍が見つかり、でもその時は治療、手術を乗り越えてくれて、私達の元に帰ってきてくれました。だから、このままずっと一緒に過ごせると信じて疑いもしませんでした。
その娘を肝不全で失いました。
診断書には肝不全と書かれていましたが、肝臓、腎臓が機能していなかったので透析、血漿交換、様々な治療をしながらの入院でした。
元は色白の娘の肌が別人のように顔色が悪く、感染症で身体中、可哀想な状態にしてしまいました。たくさんの管に繋がれ、人工呼吸器に繋がれ、ただ眠らされているだけの苦しい時間を過ごさせてしまいました。
そんな苦しい思いをさせたまま、お別れする事になってしまいました。娘の命を守ってあげられなかった事が悔しくて、親として情けなくなります。
6月、自宅で朝に意識を失い、そのまま1ヶ月以上、ICUで頑張ってくれましたが、7月にお空に行ってしまいました。
入院中、一度も意識が戻る事もなく、最後に大好き、ありがとう、の言葉すら伝えることが出来ないままの別れでした。
自宅に1人でいるよりはいいかと思い、娘と離れて10日程で仕事には復帰したのですが、職場でも急に寂しさや悲しさが込み上げてきて、息苦しくなります。
日に日に寂しさ、悲しさが大きくなってきて辛いです。
毎朝、起きるたびに娘が居ない現実を突き付けられ絶望感でいっぱいになります。
季節が移り変わって行くのも辛いです。
ひとりっ子を亡くし、生きる希望も目的も何も無くなりました。
同じ経験をされた皆さんはどうやって生きておられるのでしょうか。
ひとりっ子を亡くされた方にお話を聞かせて頂きたいです。泣き虫パパ
riomamaさん
昨年5月に一人息子を20代で難病のため亡くした泣き虫パパです。
7月にお嬢さんがお亡くなりになったという事は、49日を終えられたくらいでしょうか?
私たちもその頃は息子の死を現実として受け入れられず、魂の抜け殻、何をするにも
体の芯に力の入らない状態でした。一時は10kg位痩せました。
生活の為、そして職場に迷惑をかけないためにも6日後に職場に復帰しました。
職場では息子のことを言い訳にしてはいけないと言い聞かせていましたが、
自宅に帰るとドット疲れが押し寄せ、息子を思い出しいつの間にか涙している自分がいました。
食べ物の味が分かるようになったのは今年に入ってからです。
あなたと私どもと決定的に違う点は、まだお若いという事です。
軽々に言えませんし、適当に聞き流して頂いて結構ですが、2人目のお子さんは
お考えではありませんか?
私たちは難病のお兄ちゃんの車椅子を押してくれる弟、妹がほしいと思いましたが
結局授かりませんでした。
新たに生まれた子は亡くなった子の代わりという訳では決してありませんが
新たな命を授かる可能性があれば、それは素晴らしい事だと思います。
ご主人とも相談の上、悔いの無い決断をなさる事を願います。riomama
泣き虫パパさん
お返事ありがとうございます。
ご自身の経験、思い出すときっと辛くなるはずなのに、教えて下さってありがとうございます。毎朝起きるたび、娘の居ない現実を思い知ります。とびきりの笑顔の遺影を見るたび悲しく、寂しく、苦しくなります。
仕事には復帰したものの、ずっと娘の事を考えながらなので集中出来ず、こんな状態で仕事をしている事を職場に申し訳ない気持ちになります。
でも家に1人で居るのも耐えられそうに無いから、無理して出勤しているだけです。
今年の春、まだ元気だった時にはコロナの影響で学校が休みでしたので、娘を連れて一緒に出勤していたんです。だから職場にも娘の思い出がいっぱいで辛いです。2人目を、と仰って頂きましたが、高齢で授かった子でしたので年齢的に厳しく、このまま夫婦2人で娘の事を思いながら生きていくしか無いのかなと思い、絶望感でいっぱです。
目標も目的も何もなく、今はただ仕方なく時間を過ごしているだけです。
外出して同じ年頃のお子さんを連れた親子連れを見るのが辛く、見かけると目を背けてしまいます。
こんな気持ちでこの先、生きていかなければ行けないことが辛いです。
四十九日も終わり、日に日に寂しさが大きくなってきています。死にたい、娘のところに行きたい、そればかり考えます。
そのくせ、そんな勇気もないんです。
情けなくなります。
娘が居ないのに、どんどん季節が変わっていくのも凄く辛いです。
泣き虫パパさんは今、何を生きる理由にされて日々を過ごしておられるのでしょうか?
今の私には生きる理由が見当たりません。泣き虫パパ
riomamaさん
「生きる理由」は何か?
私にも見いだせません。息子は進行性で最後は寝たきりの病気であったので
家内は24時間付きっきり(週に3回ほど1回2,3時間ヘルパーには来てもらっていました)、
私は生活のため勤務でどちらが倒れても家族崩壊でした。
その緊張感に押しつぶされそうになることもありましたが、今にして思うと
その緊張感こそが私たち2人の生きがいだったと改めて感じています。
息子が亡くなってメンタル面で確実に変わった事は「死への恐怖」が無くなった事です。
自分も人生が終わればまたあの子に会える、そう思うと死への恐怖が不思議なくらい無くなりました。
やはり息子は親が余生を寂しく無気力に過ごしてほしいとは思っていないでしょう。
親が少しでも仲良く、元気に暮らすことが、あの子が一番望んでいたことだと私は信じています。
「旅行、音楽、食べること」家族3人の楽しみは、それしかありませんでした。
あの子はいつも私たちのそばにいてくれる、そう思って、そろそろ息子と3人で行きたいと
思っていたところへの旅行を計画しようと思っています。(コロナ次第ですが)
自然の摂理に逆らう事は出来ません。自分の気持ちに正直に過ごして行かれれば良いと思います。
あと、一つお勧めできることは、同じ体験を先にされた方に話しを聞いてもらう事です。
私も息子と同じ病で一人息子を亡くされたご夫妻に話しを聞いて頂いて、精神的に少し落ち着きました。
同じ経験をしたもの同士でない限り、一人っ子をなくした親の気持ちは絶対分かりません。
話しを聞き、聞いてもらうだけでもかなり違うと思います。riomama
泣き虫パパさん
お返事頂きありがとうございます。
そうですよね。
やっぱり大切な子を失ってしまったら生きる目的なんて見つけられないですよね。
時間が経っても悲しみが消えるわけでも小さくなるわけでも無いですし。
それでもご夫婦、支え合って今を過ごしておられるんですね。
息子さんに付きっきりで過ごして来られた奥様、家族を守る為にお仕事されていた泣き虫パパさん、息子さん、3人のチームでずっと生活して来られたんですね。
家族ってチームだし、メンバーが欠けるとバランスが上手く取れなくなりますよね。
うちが今そうです。不安定でグラグラ、ユラユラして今にも崩れてしまいそうです。
何をするにしても娘が中心で、主人も私も娘が喜ぶ顔を見るためにずっと過ごして来たんです。
その中心に居た娘を失って、何をする気力も無く、ただ毎日仕事をし、最低限の事だけをしながら日々を過ごしています。
私に比べると主人は悲しみを紛らわせるため無理にでも体を動かしたり出来るようになりつつありますが、娘を思って突然涙を流したりしていますし、まだまだ2人ともバランスが取れず不安定なままです。同じ経験をされた方と話す事で救われますね。
泣き虫パパさんから頂いたお返事を読ませて頂き
、こちらのサイトで皆さんのお話を読ませてもらうと苦しいのは自分だけじゃない、1人じゃないんだ、と感じることが出来ます。
今までの人間関係には同じ経験をした人は誰も居ませんから。陽
rio mamaさん、はじめまして。
可愛い盛りの娘さんを亡くされて日も浅いとの事で、悲しみの最中にいらっしゃるかと思うと、心が痛みます。
私は8ヶ月前に2歳になったばかりの息子を亡くしました。
8歳の娘さんだったとの事、状況や年齢は異なりますが、可愛い我が子を亡くされた心の痛み、少なからずお気持ち察します。私もまだまだ悲しみの渦中におり、毎日様々な感情が湧き上がります。
亡くした当初は現実味がなくただ悲しさと寂しい気持ちが大きかったですが、3ヶ月頃より怒り、後悔、自責の念、悔しさなどが強くなり、現在も鬱の様な症状と付き合いつつ、何とか毎日を送っている状況です。
今は、ふとした瞬間の自分が生きている事への罪悪感に苛まれています。グリーフケアによると、亡くした直後より数ヶ月〜数年経過してからの方が抑鬱状態が強くなるそうです。
また、あくまでも一般的ですが、5年程経過してようやく悲しみと寄り添う一区切りがつくそうです。
ですが、あくまでも「グリーフケア」の概念からいう一般論であり、私達子供を亡くした親はおそらく一生この気持ちと付き合っていくのかな…と思っています。子供を亡くした経験者は多くはないので、周囲からの親切心からくる理解の無い言葉に傷付いたり、孤独を感じる事があると思います。
泣き虫パパさんのおっしゃる通り、先に経験された方々に話を聞いてもらったり、投稿を読む事で心が救われる事が沢山ありました。
現実での人々の言葉より、ネットや手記など会った事のない方々の言葉やコメントなどの方が余程心に響いて、「一人じゃない」と感じる事もありました。私が今辛いと思った時に思い出すのが、福知山の脱線事故で逆縁をご経験された方が、
「最終的には、他の誰でもなく自分自身で辛く悲しい運命と向き合い、それを抱え自分なりに折り合いをつけて、歩み直していくしか道はない」とおっしゃった事です。
今はまだその言葉を前向きに受け止める事は出来ませんが、「身も心も引き裂かれるような理不尽な死別の悲しみは、乗り越えることなんかできません。抱えたまま生きることを覚悟して生きていくしかないのかもしれません」と書いてあったことに、皆様同じ様な気持ちで辛い中精一杯生き抜くのかな、と思っています。rio mamaさん、今はお子様を亡くされてから日も浅く、お気持ちも不安定だと思います。
私もまだまだ同じ様に、不安定でとても前向きにとはいきませんが、一緒に頑張って生きていきましょうね。
これからもまだ気持ちは変化すると思いますし、辛い事も多いかと思います。
お仕事もあり、大変だと思いますが、今はご自身のお体を一番大切にして下さい。
無理しないで下さいね。
辛くなったら、これからもこちらでまたお話しましょう。
きっとあなたの気持ちを分かってくれる人達がこのサイトの中には沢山いると思います。riomama
陽さん
お返事ありがとうございます。
凄く可愛い時期ですよね、2歳って。
色々出来てお話も上手になって。でもまだ赤ちゃんぽさも残ってて。
そんな可愛い大切な子を失うの、本当に辛くて苦しいですね。
私も2歳の頃の娘を思い出しました。
本当に凄く可愛くてたまりませんでした。私も陽さんと同じように後悔している事たくさんありますし、あの時ああすれば良かったのかも?とか、自分の判断が間違ってたんじゃないか、そのせいで娘が苦しみなら旅立ったんじゃないか、とか、いろんな感情が頭の中でぐちゃぐちゃに渦巻いてしまう時があります。
涙が出ない日なんて無いですし。
最初の頃は職場でもよくトイレに駆け込んで泣いていました。最近は職場ではどうにが泣かずに過ごせる日もでてきましたが。書いて下さった「5年」、まだまだ先過ぎて気が遠くなるほど先ですよね。今はたった1日すら苦しくて辛い時間なのに。
例え5年が経っても、陽さんが仰るように私達は一生懸命、この寂しさ、悲しさ、辛さを抱えて生きていくしか無いんでしょうね。
生きるのが嫌になります。
娘の命を守れなかった自分が生きてる事が許せなくなる時もあります。
死ぬ勇気もないくせに。今までの人間関係の中より、こういった場でお話したり、同じ体験された方の書かれた事を読んだりする方がずっと心に響く言葉があったり、救われたりします。孤独感を味わう事も、傷つけられる事もないですし。
だから辛くて苦しくてどうしようもない時は、こうして気持ちを吐き出して、それに応えて下さる方々に救ってもらっています。
陽さんご自身もまだまだお辛いのに、私の身体まで気遣って下さってありがとうございます。
お会いした事が無くても、どんなに優しい方なのかが伝わってきます。本当にありがとうございます。
またお話出来たら嬉しいです。スヌーピー
もぅ四年が経ちますが私も22歳の次男を突然死で亡くしました。
文字にするのも辛く涙がポロポロと頬をつたいます。
ほんの少しだけ感情のコントロールができる様になっただけで今でもお風呂でシャワーの流しながらシャワーの音で嗚咽しているのをかき消して泣いています。
ただ子供を失う辛さや哀しみは経験した者でないとわからない。が本当だと思います。
かける言葉も文字にすることもたいしてできない私ですが、私も子供を亡くして子供の棺に横に自分の棺を並べたかった と強く思いました。
毎日、早くあの世で次男逢いたい それを思います。
でも次男はそれを許しはしないし自分の分も生きて欲しい と思っているだろうと…子供を失った親ならわかります。あなたの哀しみ
riomama
スヌーピーさん
お返事ありがとうございます。
どんなに時間が経っても悲しみは変わらないんですよね、死ぬまで悲しみは続くんだと思っています。だって、あの子が居ないのが現実だから。
もうどんなに望んでも願っても、娘を抱きしめる事も、呼びかけて応えてくれることも無いから毎日、生きるのが辛くて仕方がないです。
叶うことが無いってわかってるのに、それで強く願ってしまいます。
だから今は早く寿命が尽きて、娘のところに行きたいと、そればかり願いながらどうにか1日を生きてる感じです。
子供と一緒にいけたら幸せですよね。
私も思います。気持ちをわかっていただいてありがとうございます。
スヌーピー
文字にしたい事はたくさんあるのですが、この4年間をどう過ごしたか、たくさんたくさん文字にしたいことはあるのですが涙で文字が見えなくなってしまい翌日は目が腫れてコンタクトレンズもできない日もあります。
みなさんの哀しみや辛さ寂しさを読んで私だけではないんだと思い長い長い一日、ひと月、一年を生きていられる自分もこのサイトの中にいます。
みなさんの心がほんの少しでもお子さんに伝わりますように……。
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