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motherにより2021-02-22 10:43に更新されました。
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mother
25歳の長男の一周忌を先日行ないました。
大きな写真の中の彼のほほ笑みを見ていると、何についても興味津々で、どんな事でも家族の中で一番物知りであった彼の得意気な顔が目に浮かびます。
一年たった今でも、きっと今後何年たっても、なぜ、どうして、私の息子が病いに倒れなければならなかったのか、という行き場のない怒りと苦しみは尽きません。彼の命の炎がだんだん消えていくのを、泣きながら見守るしかなかったあの圧倒的な絶望感も。
このサイトに来れば、同じ思いを抱いていらっしゃるだろう皆さんと少しでも気持ちを分かちあうことができる、そんなふうに勝手に思って、今日はちょっと感情的になっているかもしれません。すみません。彼の病状がぐっと悪くなっていったのが一昨年の年末。続いての年始はずっと彼のベッド脇に布団を敷いて、酸素マスクの彼を一晩中見守り続けました。何とか彼がこの危機を乗り超え、あともう少しの間頑張れるのでは、と言う甘い希望も打ち砕かれ、みるみるうちに弱っていった息子。そんな彼が可哀そうで、でも本当にいとおしくて、胸が張り裂けそうでした。
彼が亡くなってからは、ただ寝て起きて食べてのロボットのような生活。そんな中で、彼が闘病中に「お母さん、俺に構わずに仕事行きなよ。外に出て歩いてきた方が良いよ。」などと良く言っていたことを思い出し、しばらくしてよろよろと仕事に戻りました。「働き過ぎじゃないの、ほどほどにすれば。」というこれも息子のアドバイスもあったので、仕事はセーブしたものに変えましたが、ある意味、仕事が今の私の生活の心の支えとなっています。息子の深い思いやりに今では感謝しています。
こうして思い返すと、息子が私に教えてくれたこと、良いきっかけや刺激を与えてくれたことは、数限りなくあります。彼が私の中で生き続けていることの証しとしてこれからもしっかり頑張っていこう、と奮い立つ自分と、でもやっぱりお前に会いたいよ、と泣き崩れる自分を何とかコントロールしながらの毎日です。
年が明けて、コロナのため緊急事態宣言も出る厳しい状況ですが、皆さん、天国にいる子供たちに心配をかけないように、感染に注意しながら、少しでも元気でいられるよう、頑張ってまいりましょう。
スヌーピー
一周忌を終えられたのですね。
その頃の私はこういうサイトすらあることも知らずに、何に対しても怖い様な絶望感があり
漢字の『終』とか記号の『!』にすら怖さを感じて新聞の死亡記事にも涙が出て止まらず毎日、
目が腫れていました。
今でも新聞やニュースで子供が亡くなった記事を読むと涙がとまらなくなるのですが
四年たった今は小さな子や新しい命の赤ちゃんを見ると涙が溢れてきます。
22歳で星になった息子と産まれてきた時の息子とそれぞれの思い出が自分の中で同時に生きているのだと実感するこの頃です。息子の部屋に壁いっぱいに貼った小さな息子を見ながら、あーもぅ3歳になったんだねと、
星になってからの年数を産まれた時から数え始めて…22歳になったらその先はないのだけどまた、
誕生から始めればいいんだと思っています。息子のお友達のよきパパぶりを見ては、息子に重ね合わせてみることのできる自分を空から息子が見てるのだと、写真の息子を見てるとそんなふうにも思えます。
このサイトにくると決して私は1人ではないのだともぅ少し生きてみようと思います。
12月の祥月命日には息子ならこんなマスクつけてるかな?とデニムのマスクもお供えしました。
またここで他のママさんとお話しできるのも
私の大きな癒しの1つです。mother
スヌーピーさん、ありがとうございます。涙を流しながら投稿を読ませてもらいました。
私の思いを読んでくださるだけでも、本当に心がほころびます。息子は大きくなってからはほっそりした身体になりましたが、小さいころはぷくぷくと太っていてとても可愛かった。25年間分の彼の写真やアルバムはたくさんありますが、今は見るのが辛くて。。。。
彼が着ていた衣類等で私のサイズのものは、家の中でいつも身に着けています。鏡に映る彼のジャージを着た自分の姿をふと見ると、当たり前ですが、あっ、似てる と思って見入ってしまいます。
毎晩、夕食時には、出来上がったこの料理を、食べることが大好きだった息子がどんなに喜んだことだろうと想像して、思わず涙の塩味が入りそうになる時も少なくありません。今ここにはいない彼を思いながらも、自分だけ生きていると言う事実に、日々葛藤しています。
でも何とかこのサイトの力も借りながら、これからも少しずつ息子の分まで頑張っていかなくては、と自分に言い聞かせています。mother
コロナの状況がまだまだ落ち着かないこの頃ですね。
病気の怖さを見聞きするたびに、息子が生きていたらさぞや今頃、毎日薄氷を踏む思いで過ごしていただろうと思っています。
25歳でついに癌の末期で亡くなってしまった長男は、それでも最後の最後まで生きる希望を持ち、在宅医療のかたわら、入院、そして通院、さまざまな検査、投薬による治療、と本当に根気強く頑張り続けました。
誰にも真似のできないほどの強さと忍耐力を見せてくれたこと、家族はもちろんのこと他者をを思いやる気持ちまで失わずにいたこと、とても素晴らしい息子でした。
でも、親としては、彼がどんな状態であっても、いつまでもいつまでもここにいてほしかった。一緒に病気に立ち向かう毎日が家族の、私の生き甲斐だった。子供さんの闘病を経験された方の思いは皆同じだと思います。
一周忌を終えましたが、彼との日々を思い返して涙しない日はありません。息子の病気もすべて受け入れて、それでもある意味楽しく過ごしていた平穏な生活が奪われてしまい、これからどうやって自分がどんな風に生きていけば良いのか、何を目指して行けばよいのかと、戸惑う日々はまだまだ続きます。
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