9年分の思い出があるから生きて行けるのか、辛くなるのか

  • このトピックには16件の返信、2人の参加者があり、最後にmotherにより2020-11-18 11:30に更新されました。
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  • #1067 返信
    風の子

    娘がいなくなって1年。一緒に新しい時代を迎えられると思っていたのに…。もうすぐクリスマスだね、サンタさんに何お願いするの?って話してた矢先の突然の急死。退院して半年、一度もメリークリスマスも明けましておめでとうも祝う事なく逝ってしまいました。娘は9歳でしたがまだサンタさんを信じている純粋な子でした。

    娘が生まれる前、私は5回流産しました。私は母親になる事は許されないのかと諦めていました。そして6回目の妊娠。どうせまたダメだと思って病院にも行けずにいました。そしたらお腹の中で動き始め、元気な姿を確認する事が出来ました。
    やったーって手を叩いて喜びました。病院の先生からはめちゃくちゃ叱られました。何でもっと早く来ないんだって。

    やっと生まれて来れたのに僅か9歳で亡くなるなんて思ってなかったので何でっていう気持ちが大きいです。7歳で癌になり、約2年の療養生活、やっと退院出来て半年で旅立ち。

    小学校に入学して1年も経たないうちに病気になり、まだ新品同様のランドセル家に残されています。今、娘がいない生活を送って1年 思うことは9年分の思い出があるから生きて行けるのか、9年分の思い出があるから辛くなるのか 考えても分からないのですが、なかなか割り切る事は出来ません。

    病気のせいで目が見えなくなり、歩けなくなり味覚も変わり、物を覚えられなくなり、娘にとって大切な物を全部奪ったのに、その上 命まで奪って行くのか…。始めはそんな風に思っていました。

    娘が亡くなってからどこで聞きつけてきたのか、宗教の勧誘が来るようになり、私は、その人達に理由を話さず、ただ一言、私は神様を信じていない。だからもう来ないでください。とだけ言って追い返してしまいました。今では 私の中で娘が最強の神様なので、それだけを信じ生きて行こうと思います。

    お子さんを亡くされた皆様、何年経っても悲しみ、苦しみが癒える事はないと思います。いつか自分が人生を終える時、娘に会える事を楽しみに生きていこうと思っています。会ってくれるか分かりませんが…。日にちが経てば経つほど娘に会いたいという思いが強くなります。若い頃は死ぬという事が怖いと感じていましたが、今は娘に会えるかもと思うから昔ほど怖くはないかな~っておもいます。そんな怖い思いを娘は幼くして経験したのだから尊敬します。

    どんな彼氏を連れて来るのか…ウェディングドレスを着た娘を見てみたかったとか、楽しみな事沢山あったのに、やりたい事沢山あっただろうと思います。皆様 身体には気をつけて、無理せず頑張って下さい。

    #1070 返信
    泣き虫パパ

    風の子さん、初めての投稿ですか?
    私も昨年、一人息子を難病で亡くしネットでこのサイトを知った者です。

    息子は27歳でした。一歳半で進行性難病と診断され最後は寝たきり、動かせるのは指先だけでした。常に覚悟の必要な難病であったとはいえ、当日朝まで普段通りだっただけに、残酷なまでに突然の別れで、家内と2人悲しいを通り越し、しばらく茫然自失の状況でした。年が明けてもまだ悲しみが癒える事はまったくありません。

    私が一番精神的に救われたのは、同じ難病で我が子を亡くした方とお会いし、色々と話を聞いて頂いた事でした。逆縁という悲しみはどんなに近しい肉親でも分かりません。先に同じ経験をされた方からのお話は説得力が全然違いました。だからといって、たちどころに前向きになれるという事はありませんが、もし関心がおありでしたら、そのような集まりに参加される事もお考えになってはいかがかと思いました。

    私も以前は「死」が怖かったです。しかし今は怖いというより、あの子に会えるという思いの方が強くなり死への恐怖が格段に少なくなりました。
    もう心の底から楽しいと思えることは、そう長くないこれからの人生ではないかもしれませんが、残された家族が少しでも元気に生きていくことが息子の望んでいたことと考え、一日一日を精一杯過ごしていこうと心がけています。

    このサイトは同じ悲しみを心から理解できる人たちが集う広場です。なにか話したいことがあったらいつでも声を聞かせて下さい。

    #1071 返信
    みき

    読んで涙が出てきました。
    私も15才の息子を亡くして、もうすぐ1年9カ月になります。
    悲しみ、会いたい気持ちは強くなるばかりです。あの子と過ごした楽しい日々、くだらないこと話してた毎日を思い出して生きていってます。
    だけどたまに辛いときは、記憶喪失にでもなったら楽なのにって思ったりします。
    私は辛いときやあの子に話したいことがあった時は今でも手紙を書いてます。書いてる時はあの子と話してるような気になります。
    そうやって自分で気持ちを調節しながら生きていくしかないですね。
    無理せず生きていきましょうね。

    #1072 返信
    風の子

    皆さま、温かいお言葉ありがとうございます。今は、何をしていても全く楽しくはない生活を送っていますが、あんなに元気に学校へ行っていた娘がある日突然病気になりそれから毎日、闘病日記を書き 娘とのやりとりだったり 喧嘩した内容などを記してました。

    娘の癌は長期生存率10%と言われる稀なものでした。ですから、仮に腫瘍を取りきっても再発率も転移の可能性も高いと言われていました。ですからそんなに長くは生きられないだろうと思っていました。なので亡くなった瞬間の私は、悲しさより、あぁ この子はもう苦しまずに済むのね、再発とか転移とかの不安はもうしなくていいんだな…って言う気持ちの方が強かったように思います。

    勿論、それでも生きていて欲しいと思う気持ちも強くありました。娘を抱きしめた時、まだ温かくて、あー今まで頑張って生きようとしていたんだなぁ…ほんとに強い子だなぁ 偉いなぁって感じ、涙が止まりませんでした。小さい頃は風邪も引いたこともなく、元気いっぱいで静かなのは寝てる時だけって感じだった子が今はもういない。

    娘がいなくなったこの1年、朝 起きるのが本当に辛かった。あの子がいない朝がほんとに嫌い。目覚めたら全部夢だったらいいって思うし、現実を突きつける朝が憎くて仕方ない。たまに夢に娘が出て来ます。そんな日は起きたくない、そんな毎日を送っていますが、私には息子がいるのですが、この息子がまた娘に顔も声もそっくりで、話をしていると娘が降りて来たのかと錯覚する事がよくあります。息子の前では泣くことも出来ないし、息子もお姉ちゃんが大好きだったから、私が泣くと泣いてしまう事もあり、息子の事を今は第1に考え、弟を見守ってあげてね…と語りかけながら何とか過ごしています。

    最後になりますが、今の私の夢は息子が大きくなって、彼女を家に連れて来た時に娘の仏壇にそれを報告する事です。

    去年の元旦は娘の四十九日でした。新しい年を迎え、段々、娘が遠くなってるような気持ちになり淋しくなる事もありますが、寒さに負けず、頑張って行こうと思っています。皆さまもいつか笑顔で過ごせるよう一緒に頑張りましょう。
    長くなりすいません。

    #1073 返信
    シナモンママ

    風の子さんは、我が家の長女より、少しさきに一年を過ごしたのですね。長女を桜の時期に亡くしたのですが風の子さんと同じような気持ちでいます。

    長女が亡くなってしまったら、どうしようと考え、不安で苦しんだ時期。亡くなってしまった今は、その不安が悲しみや兄弟の心配に変わっただけです。ただ家族とも長女との思い出話しが少しずつ出来るようになりました。他人からの言葉には、とても敏感ですが。長女の担任だった方に、一年は辛いだろうけど…。勝手に悲しみの期間を決めないでほしい。これからも沢山哀しみ、涙も流します。

    #1074 返信
    ニャロパパ

    皆様の事情を涙ながら読まさしてもらってます。自分の事を投稿しようか迷ったのですが‥😰

    うちの子は小さい時から癲癇の症状が出ており、それが大きくなっても症状は治まらず、それが原因で真夜中に風呂場で亡くなりました。 その症状は1年に1度あるかないかの頻度だったので、彼も俺も何時の間にか甘く見てました。掛かり付けの医者は高名の人で通院する度に「規則正しい生活を」って言われてましたし、彼が高校生の頃、癲癇で家の階段から落ちそうになったのを慌ててだき抱えた事もありましたし、小さい頃に意識を失い必死で病院に走った事も何度もあしました。

    彼も19才になり親から小言を言われるのを嫌がってた事もあり、「早く寝なさい!」とか注意するのが段々、疎かになっていたのです。全て私の監督不足です。事故は未然に防げたのです。

    私はその事で誰かに責められるが怖かった😭そのくせ、心療内科やグリーフケアの場では前向きな事を言ってる自分が許せない。多分、一生許さないと思います。父親として、たった一人の子供の子育てを疎かにして、自分の命より大切な宝物を無くしてしまった‥。やっと授かった子供に生まれた時は大事に育てると誓ったのに。

    あの子の亡くなった時から今まで遺影に向かって「ゴメンな」って言ってばかり。もっと生きたかったよな😰

    すいません🙏つい闇の部分を見せてしまって😰皆様の切実な思いに自分が恥ずかしいです。どうぞ皆様にはいつか平穏が訪れるように。

    #1075 返信
    ひめママ

    もう涙が止まらず嗚咽しながら読ませていただきました。

    なんてことなんでしょう…
    やっと授かったお子さんを…
    お辛かったですね…

    私も11歳の娘を亡くして1年8ヶ月が過ぎました。
    幸せだった日常が一瞬にして奪われました。
    今でも毎日毎日娘のことを考えますし、娘を思い、涙が出ます。
    それはこれから先も変わることがないと思います。

    娘を亡くして行き場のない思いを少しでも癒せればとお寺や神社を巡ったり、パワースポットに行ったり、前向きになれそうな本を読んだり、占いに行ったり、あらゆることをしましたが癒されるわけもなく…
    何か前向きになれる言葉や文章などを書きとめたりしていたのですが、この言葉はちょっと心を楽にしてくれました。
    どこで見つけたかは忘れてしまいましたが…

    「神様が多くの人を、幼児さえも取り去られますが、それは彼らが人の妬みやこの世の悲しみや悪事から逃れるようにするためなのです。
    彼らは地上に住むにはあまりに純粋であまりに愛らしいのです。
    ですから、もし正しい考えを取るならば、わたしたちは悲しむよりも喜ぶべきです。
    彼らは悪から救い出されているのであり、私たちはすぐに彼らと再会することになるからです。」

    この文を読んだときにちょっと心が楽になったんです。
    一生懸命、一生懸命、自分を洗脳しています。
    何が正しくて何が間違っているかはわかりませんが生きていかなくてはならない残された者が前に進むにはもう自分に言い聞かせることぐらいしかできなくて…

    愛する我が子を亡くしたわたしたちが心から笑ったり、幸せだと思えることはないかもしれませんが、みなさんのお気持ちが少しでも楽なれるよう祈ってます。

    ここでみなさんのお話を聞き、苦しんでるのは自分だけではないと思えるだけで頑張ることができます。
    ありがとうございます。

    #1938 返信
    風の子

    娘が亡くなり、1年半。娘に会えない生活に今だに慣れずにいます。

    娘に脳腫瘍が見つかる前、原因不明のまま、入院していたのですが、先生にいくらお願いしても、検査すらしてもらえず、ずっと放置され続け、MRIすら撮ってもらえず私は我慢の限界でした。娘の顔色は日に日に悪くなっていくのに、先生はずっと赤ちゃん返りだと言い続け、そんな時、娘が意識を失くしました。慌ててMRIを撮り、そこで初めて脳腫瘍が見つかりました。とりあえず私は先生に掴みかかりました。検査もろくにせず、赤ちゃん返りだと言い、放置した先生が許せませんでした。
    病気のお子さんがいらっしゃるかたならきっと一度は変われるものなら変わってあげたい…と思った事があると思いますが、何故、私の娘なんですか?病気になってから亡くなるまでの1年8ヶ月、娘はほんとによく頑張りました。生きようとしてくれました。死にたくなかったはずです。なのに私は助けてあげれなかった。変わってあげることも出来ない、親って無力です。痛感しています。

    今はただ、助けてあげれなくてごめんねという気持ちと生まれて来てくれてありがとうという思いをずっと忘れないで生きていくことが母親としての務めだと思っています。天国では楽しく過ごしている事を願って…。

    #1939 返信
    mother

    風の子さん、私も自分の無力さを強く感じています。

    息子が甲状腺癌の診断を受けたのは高校生の時でした。この癌はもっと早くわかっていれば、甲状腺そのものを切除して他の臓器への転移を防げる可能性があったのに、すでに発見の段階であちこち転移していました。
    小中学校は風邪もひいたことがなく皆勤で卒業。健康診断も何も引っかからなかった息子が、高校になって自分の体つきに違和感を感じ、誰にも知らせず、たった一人で病院に行き、詳しい検査を受けてわかったのが遺伝子変異による甲状腺癌。ドクターから突然電話をもらったとき、どう応答したのかまったく覚えていません。帰宅した息子と何を話したのかも記憶にありません。ただ、この癌は進行が遅いので、気長に治療に取り組んでいくしかない、頑張っていこう・・・こんな常套句のようなことを息子に言ったような気がします。夫も私もショックで体重が激変しました。

    それから八年間。希望を失わず、息子はすべて自分で考え決断し、自分の運命を自分で引き受けて、自分でしっかりとその短すぎる人生を生き抜きました。親ができることは、ただその全てを受け入れ、ともに寄り添って歩くこと、それだけでした。

    本当に悔しいです。もっと早い段階で癌を見つけてあげられなかったこと、病気が進んで治療の効果が出なくなり、骨転移の痛みで毎晩寝れないと苦しんでいたこと、なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか。
    あまりに我慢強く(親を思うのもあってか)、遠慮していろいろ言えなかったのだろうか。どうして、どうして? と亡くなってまだ三ヵ月ですが、ずっと問い続けてきています。
    子供のことはよく理解していたつもりで、肝心の健康面のことは何もわかっていなかった。自分はひどい無知な親だったといくら後悔てもしきれません。

    こんな親から、どうして息子のようなすごい人が生まれたのだろうか。誰にも真似できない強い精神力と大きな心を持っていた息子。今では遠いところに行ってしまったけれど、少しでも息子が示してくれた姿に近づきたい・・・と心の中で思っていても、現実は毎日息子の写真を見て恋しくて泣いているだけ。息子に諭されることばかりしている母親です。

    風の子さんのお子さんは、まだ本当にお小さくて、お母さんの悔しいお気持ちは、きっとほかの誰にも比べられないほど強いものですよね。

    でも、生まれてきてくれてありがとう、その思いは私も同じです。どんなに闘病がつらく、結末が分かっていても、もう一度親子になって子供とめぐり逢いたいです。

    生かされている私たちは、旅立った子供たちほど立派なことはもうできないとしても、天国にいる素晴らしい子供たちを誇りに思い、ともに過ごした思い出をしっかり胸に抱くことはできる。そうやって毎日がんばっていくしかないですよね。

    #1940 返信
    風の子

    今、コロナがはびこって猛威を振るっています。私の娘は1年半前に亡くなったのですが、抗ガン剤治療も放射線治療もしていた娘は免疫力もだいぶ落ちていたため きっと今、生きていたとしても、コロナに感染してしまうかもしれませんね。この間、私の母親とコロナの話をしてた時、もしあの子が今 生きていたらコロナにかかったりするのかな?だとしたら、私や息子に移さないために、少し早めに逝ってしまったのかな?そんな話をしました。

    今となっては真実は分かりません。ですが、そう思うことで少しだけ、救われたような気がします。生きていてほしかったと思う気持ちは今でも変わらないし、救われたかったわけじゃありません。でも娘が亡くなった1年後にとても怖いウィルスが流行り始めて、そう思う事で私は楽になりたかったのかもしれません。私の見解なので、私の独り言だと思って下さい。ただ怖いウィルスは他人事ではないと思ってしまいます。出かける事も出来ないし、ストレスも溜まりますし、学校も休みだし、コロナのニュースにもうんざりしますが皆様、お身体には気をつけて厳しい時期を乗り越えましょうね。

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